反図書室のつんどく先生

ウンベルト・エーコが没して、早いもので一年以上になる。エーコはいろいろな顔を持っていたが、最初の公的な顔、つまりイタリア放送協会文化部の職員としての顔を真っ先に思いうかべるひとはまずいないだろう。だがここで当時の若手の芸術家や評論家たち、とくに「63年グループ」の面々と意気投合しなければ、その後のエーコはなかったのである。トマス・アクィナスと中世の美学に関する二冊の本を上梓したのもテレビ局に在職中のことだった。そして代表作となる『開かれた作品』(1962年)によって記号論の可能性を文字どおりに「開いた」とき、エーコは出版社ボンピアーニのノンフィクション部門の編集者であった。いくつかの大学で教鞭を執ることもあったが、ボローニャ大学で彼のために新設された記号論のポストに就いたのは1975年だから、なんのことはない、エーコは生え抜きの研究者ではなく、いま日本でも注目を集めている「在野」の学者と言ってもよいのである。もちろんここでいう在野とは、大学に属さない「外野」というほどのネガティブな意味ではなく、自分を既存の学問領域に合わせるよりも自らの資質に合わせて学問のあり方を変革する、積極的な知識人を指す。いずれにせよマスコミ人であったエーコが、一貫して読者と作者の関係やテクストの解釈可能性に重点を置いた研究を続けたことの意味は、まだ充分に検討されているとは言えない。

さてエーコは大学人の顔を獲得しても、おそらく以前と変わらなかった。つまりエーコは、少なくともある時期まで大酒飲みでチェーン・スモーカーであったし、討論に臨んではその大きな声で相手を萎縮させる、なかなかやりづらいところのある人物でありつづけたのである。講演の質疑応答ではどのような質問を受けても、「私はさっきからそれを言っているのです」か「私はそんなことは一度も言っていません」で返し、さもなければ話題を変えた。これは1980年にそれまでの研究成果の実践でもある『薔薇の名前』を発表し、ベストセラー作家の顔を手にいれたあとも同様である。変化といえば、最終的に世界で五千万部にも達したという同作の売り上げによって、その後に執筆された小説や過去の研究書も売れに売れ、おかげで最後の顔を手中に収めたことだろう。愛書家というその顔は、なかなか物入りなのである。

ミラノの本宅に三万冊、ウルビーノ近郊の別荘に二万冊の蔵書を持っていたエーコの図書室は、『薔薇の名前』の読者の目線から想像すれば、さぞかし典型的な姿をしているように思われるだろう。すなわち木目とマーブル模様に満たされ、重厚な空気の漂う、修道院の図書室か、あるいはヴィクトリア朝風の図書室と言ったところのものである。具体例を出せば、プラハにあるチェコ国立図書館のバロック風の書棚の陰から、エーコがひょっこり髭面を出してもまるで違和感はない。ところが実際のところ、エーコの本宅の図書室は、白い機能的な本棚が整然と並ぶ、ほとんど無機物のような印象を与えるものなのである。

プラハの「クレメンティヌム」と呼ばれる建物内にある国立図書館。

プラハの「クレメンティヌム」と呼ばれる建物内にある国立図書館。

各国語に翻訳されたものを含め、多数の自著が並ぶ一画。下段には日本で出版された書籍も見える。©Giovanna Silva

各国語に翻訳されたものを含め、多数の自著が並ぶ一画。下段には日本で出版された書籍も見える。©Giovanna Silva

この意外性を解消するためには、エーコにとって図書室が何であったのかを検討してみる必要があるだろう。その手がかりを与えてくれるのは、いわゆる「黒鳥理論」の研究者であり、エーコの友人であったナシム・ニコラス・タレブである。タレブはその著書『ブラック・スワン』のなかで、エーコの図書室を「反図書室」(訳書では「反蔵書」)と呼んでいる。それはつまり、「これから読む本の集積」であり、「まだ読まれていない本」が「すでに読まれた本」よりも大きな価値を持つ図書室なのである。それを知らずにエーコ宅に招かれた客は、たいてい「三万冊、すべて読んだのですか?」と尋ねるのだが、エーコとわかりあえるのは、図書室を「知的な見栄」のようなものではなく、「研究材料」とみなせるような客人なのである。

要するにエーコは「積ん読」を愛していた、と言ってもよい。平成の世に至ってすっかり人口に膾炙したこの「積ん読」の語が案外と長い歴史を持つことはすでによく知られているが、例えば内田魯庵はこのように述べている。

 

読書家と蒐書家とは違ってる。読書家必ずしも蒐書家でなければ蒐書家亦必ずしも読書家では無い。が、此の二者は隣人同士で決して見ず知らずでは無いのだが、読書家の蒐書家を見る、恰もパリサイ人の如く、動もすれば「積んどく先生」と称して軽侮する。が、書籍の保全されるのは「積んどく先生」であるが為めで、善書を読書家に供給するは「積んどく先生」である。「つんどく」は決して恥ずるに及ばないので、鼠が物を齧るように行き当りバッタリに喰い散らす乱読や、酔漢が千鳥足を踏むようにシドロモドロに混迷脱落する錯読や、何でも彼でも鵜呑にして少しも消化しない盲読や、然ういう無用の或は脱線した読書よりは「つんどく」が却て文献保存の重大な任務を尽している。

内田魯庵「東西愛書趣味の比較」(『読書放浪』所収)

 

これは要するに、「積ん読」する人が読みもしない本、それも優れた直感で選り抜いた良書を買い漁って保存してくれるので、いずれその本が絶版になるようなことがあってもよい状態のものがその本を必要とする人のところに回ってくる、ということであろうから、「積ん読」と「読書」が相互に排他的なものと捉えられているわけである。しかしむろんエーコの「積ん読」では、積まれた本はいつか必ずひもとかれ、なおかつ自らの書きつつある書物の肥料となる、という宿命を担わされている。エーコの小説を一読すれば明らかなように、エーコにとって書物とはすべて「屋上屋を架す」ならぬ「本上本を書く」ことで生れてくるものであり、その書物の梯子を登って書物の楽園に入ることを、この反図書室の住人は夢想していたに違いないのである。

ところでエーコは、晩年に至って脚本家のジャン=クロード・カリエールと書物について語った本を上梓しているが、その『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』の内容もまた反図書室の擁護と言えるようなものである。というのもカリエールもまた相当な蔵書家であり、二人ともに、電子書籍程度のものが書物を消滅させるなどとは考えもしないのである(そもそも原題は『書物はまだ終わらない』であるから、邦訳はなかなか商売っ気が強い)。むしろエーコが強調するのは、書物という媒体の耐久性と恒常性である。

これは映画の場合と比較してみればよくわかる。『世界シネマ大事典』の前書きでフィリップ・ケンプが「主要な芸術の中でも最年少の、最もダイナミックな映画という芸術は、わずか100年のうちに原始主義からポストモダニズムへと移行し、しかも原初の姿を残している」と述べているように、映画はまだ新しく、過渡期にある芸術であるから、千年のあいだに書物(書物以前のものを含めて)がたどってきた道筋を、早送りではあれ、まだまだ経験している途中なのである。ちょうど小説に社会的価値が認められたのがほんの三百年まえであるのと同じように、映画はただ消費を目的とした大衆娯楽として永らく捉えられていた。名作のフィルムは廃棄するのではなく保存するべきだ、という考えが広まったのも第二次大戦後のことだ。

したがって映画をどのように保存・再生産するかという問題に人類が取り組むようになったのも、ごく最近のことである。VHSやベータの頼りなさと比べれば隔世の感のあるDVDも、そのデータの寿命はせいぜい数十年と言われている。お気に入りの映画をいつまでも観たければ、結局、その都度、データの大元からダウンロードしてくるような方法を採らざるを得ない。だがそれにしても、どこぞの砂漠に建てられたデータ・センターに隕石でも落ちた日には、すっかり消滅してしまうことを覚悟しなければならないだろう。

それに比べれば書物は、とうの昔に完成してしまっているのだ。電気もいらず、軽く、半世紀は問題なく保存することができる(もちろん努力をすれば、数百年でも)。一冊につき一冊分の情報しか保持することができない、というのが電子書籍の存在を前提とした弱点だが、一冊の本しか持ち出せないような状況、例えば核戦争がはじまり、無人島で暮らさざるを得ないとかいったような状況では、その一冊の本のほうが、電池の切れたタブレット端末よりはるかに有益であることは理の当然であろう。しかも私たちには図書室があるし、もっと言えば、反図書室がある。いま目前にないすべての書物は、いつか読まれるものとして、確かに(どこかに)存在するのだ。

デリダの図書室。下段に日本語訳の自著があるところまでエーコの図書室に似ている。©Andrew Bush, 2001

デリダの図書室。下段に日本語訳の自著があるところまでエーコの図書室に似ている。©Andrew Bush, 2001

ところで反図書室が思想家に似つかわしい図書室であるとすると、ここに興味深い偶然がある。それはパリに程近いリ=ゾランジスにあったジャック・デリダの自宅の図書室が、エーコのそれによく似ているということだ。テクストの内部で無限に散種される意味を追い求めつづけたデリダが、やはりその書棚に「まだ読んでいない」がゆえに「すでに読んだ」書物よりも貴重な書物=データを、こつこつと蓄積していたことは注目に値する。その一万八千冊の蔵書は、デリダの死後、プリンストン大学の図書館に引き取られた。ちなみに死因は、エーコとおなじ膵臓癌である。