日本人は愛しうるか

名月の夜になると吸血鬼か狼男よろしく息を吹き返す小話に、漱石が I love you を「月が綺麗ですね」と訳した、というものがある。二葉亭四迷がおなじ言葉を「死んでもいいわ」と訳したという、抱き合わせで併記されることの多い逸話ともども、おそらく事実ではない。だいぶ以前から文壇のこぼれ話として人口に膾炙していたようだが、少なくとも戦前の典拠は見つかっていないようだ。

博引旁証が目的ではないから、出典の特定は措こう。ただ感覚として、『三四郎』で主人公に「ストレイ・シープ」と繰り返しつぶやかせた漱石が、I love you を「月が綺麗ですね」などと訳すというのはしっくり来ない。ちなみに三四郎の友人、与次郎は Pity’s akin to love を「かあいそうだたほれたってことよ」と訳している。この与次郎は love にはうるさい。「第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女における知識はおそらく零だろう。ラッブをしたことがないものに女がわかるものか」とも言っている。

なお悪いのは、この逸話のなかで漱石が「日本人は愛しているなどと図々しいことは言わない」という、程度の低い文化論を披瀝したことになっている点である。これはあまりに漱石らしくない。漱石にとっては、幼時から教育の礎となっている漢文も、ごく若いうちから親しんだ英文も、日本語と共に思索上の「母語」を構成する要素であった。その意味で漱石をはじめとする明治の知識人の精神が棲まっていた言語世界は特殊であり、現代の日本人よりもはるかに複雑であると言ってよい。

世間知らずの英国の女にはこまる。或る婆さんは御前はsuperstitionと云ふ字を知て居るかと尋ねた。下宿の神さんはtunnelと云ふ字を知て居るかと聞た。呆れて物が言へぬ。

日記、1901年1月30日

滞英中の日記で、幼稚な単語の意味を知っているかどうかを尋ねる下宿のおばさんに漱石が憤激していることからも明らかなように、漱石が人を嗅ぎ分ける分水嶺は、易々と「国籍」に還元されるような表層を走っているのではない。何人であろうと、「愛している」と言うことが問題なのではない。肝心なのは愛をいかに捉えるかである。

ジョン・アトキンソン・グリムショー「月光の下で」1887年

ジョン・アトキンソン・グリムショー「月光の下で」1887年

だがそれはさておき、日本人が「愛している」と言わないのは事実である。日本語の歴史をさかのぼれば「愛」はもっぱら仏語であり、それは欲望であり執着であった。人と人との結びつきを指すこともあったが、その場合は親子や兄弟の絆を意味することが圧倒的に多い。和歌では「愛」ではなく「恋」が重要である。いまでこそ恋はどこか淡く、愛への発展途上にある感情のようにも考えられがちだが、「こひ」の「ひ」は「火」であって、人・物・土地・記憶などあらゆるものへの捨てがたい感情が、歌人たちの心を燃やしたのである。また、愛する心は「うつくし」、「うるはし」などとも表現され、想う心そのものがすでに美であったことが窺える。これに対して、今日的な意味での「愛」の定着は明らかに明治以降、キリスト教的な「愛」の概念を含むものとして輸入されてからのことであろう。

柄にもなく「愛」などという言葉を輸入したことは、あるいは日本人にとって悲劇であったかもしれない。必要以上にその意味が強められたために、「愛」は永遠を共にしたいと願う相手にのみ抱くことを許された、ともすると死と隣り合わせの凄絶な感情のように思われがちであって、友人などを相手に気軽に使えるものではなくなった。自分の一部である子供だとか、あるいは家族同様に思っている動物を愛することはできるのに、「愛」が友情の形容にはならないというのはひどく不自然ではなかろうか。「愛」があまりに特別であるために、その特別な感情を当てはめることのできない相手は特別な存在にはなり得ない、というようなパラドックスが生れてはいないか。

言い換えれば、「愛」という言葉を得たことと引き換えに、日本人は「愛」を失ったのではないか。「個人は愛することができない」とロレンスは『現代人は愛しうるか』のなかで述べているが、近代の個人主義と共に流入した「愛」という言葉が日本語に根付くその過程には、「日本人は愛しうるか」という問いが見え隠れしているように思われる。だが愛したいと欲する心までが失われたわけではない。そこで遡及的に「愛」を解体する必要が生ずるのだ。「月が綺麗ですね」の逸話の誕生もその成果の一つと言えないだろうか。

安部公房の「クレオールの魂」は、ちょっとした専門書より簡明にクレオール言語の本質を描き出している。異文化の影響下で、生存のために急ごしらえで生成されるピジンに対して、次世代のクレオールは言語としてより完全である。

手探りでアイデンティティを求めあう、故郷を持たない子供たち。片言のピジンで声を掛けあうよりは、身振り手振りで連帯の確認をしようとしたに違いない。そのうちごく自然に構文の《衝動》が作用して、独自の言葉を話しあうようになっている。ピジンとは違い、ちゃんと共通の文法をもったクレオールの誕生だ。

基盤の安定した日本語のような言語においても、新たな言葉=概念の大量の流入というような事態に際しては、このようなピジン、クレオールの産出は避けられないことであろう。要するに「月が綺麗ですね」という幻想的なクレオールは、日本人もまた愛しうるのだ、という叫びに他ならないのである。ただそれが、漱石以前の「愛」の表現の蓄積に目を向けない、近視眼的なものであったために、何やら漱石らしくないベタベタした様相を呈することになったのだろう。漱石なら、「アハハ、マッド・ラッブだね。剣呑だぜ君」とでも笑ってすませたはずである。