めもらびりあ ぱらふぁなりあ まるじなりあ

「拠点」から離れてゆこうとすることこそ人間の絶望的な本能ではあるまいか。基督も仏陀も、故国では僭称者であった。彼らが救世主となったのは、砂漠ではなく都市であり、ヒマラヤの麓ではなく貿易の道すがらであった。ところが信者たちはエルサレムを、天竺を夢見る。最後には「拠点」に舞い戻ろうとし、道に迷う内に力尽きる。これこそ人間の絶望的な宿命ではあるまいか。

この問題には洋の東西の別はない。だが日本などは恵まれた部類である。「拠点」としての漢字文化から仮名文化を生み出し、和歌を通して世界観を表明することができた。中央から見れば、正道・公・男性の領域にある漢字に対して、仮名は逸脱・私・女性の領域に属している。だがそんな二項対立さえ、仮名の側から見れば無用の長物である。要するに仮名によって、日本文化には常に「拠点」以外の「支点」が用意されていたのであり、搦手からの思考が可能であった。

ヴァレリー『カイエ』より、29番、90-91頁。

ヴァレリー『カイエ』より、29番、90-91頁。

これに比べれば西洋は遥かに窮屈であろう。濫立する帝国をまちまちの長さの柱に例えてみれば、世界はいつ崩壊してもおかしくない状態にある。辛うじて天蓋の崩落を防いでいたのは、まさに天にまします神の国との応答関係であった。社会を司るあらゆる要素は宗教によって裏打ちされなければならず、土着の伝統は庶民の暮らしの隅で静かに呼吸するに留まっていた。このような文化が窒息を免れたのはひとえに古代ギリシャの夢の跡が残されたからであり、共通の敵たる異端者が存在したからであり、さらに後には、東洋に黄金の幻が浮かび上がったからであろう。

哲学者であれ芸術家であれ、思考する人々の闘いも、根本では常にこの目に見えぬ鎖を相手にしていた。神を呪ったランボーが、かえって使徒も顔負けに神の力を喧伝する羽目になったことはつとに知られている。それはさらに近代の、例えば不条理の哲学のようなものの場合にも変わらない。カミュは、征服者にとって知力は「砂漠の世界を照らす」ものだと言う。砂漠こそキリスト教の(そしてユダヤ教の、イスラム教の)生れた場所であることを思い起こしてみると、この表現は奇妙な響きを獲得する。さらにカミュは教会についてこう述べる。

あらゆる教会がぼくらに反対していることを、ぼくらははっきりと知っている。これほどまでに張りつめた心は永遠から逃れ出てしまうものだし、一方教会とは、神を祭るものにせよ政治を説くものにせよ、永遠を熱望しているからである。(中略)教会がもたらすのは教義であり、それに賛同することが要求されるのだ。(「不条理な人間」清水徹訳、新潮文庫『シーシュポスの神話』所収)

したがって私たちが正気を保つためには、つまり砂漠の太陽に灼かれて見ず知らずの人間を殺してしまったりしないためには、正面からの抵抗を放棄することもひとつの手段なのである。それはドゥルーズとガタリによって、「樹木」に対する「根茎」として理論化されている手段と言ってもよいが、それ以上に、つとに人々の生活のなかに習慣として溶け込んでいる。三つの言葉を鍵にして、すこしだけ例を挙げてみよう。

まずは「メモラビリア」という言葉がある。メモランダムと言えば覚書だが、メモラビリアは記憶すべき出来事や記念品を指す。記憶「すべき」というニュアンスから明らかなように、それは公式の記録や殿堂入りした遺物ではなく、努めて記憶せねば消えゆく定めにある過去の痕跡である。その意味では、「エフェメラ」という言葉を想起してもよいだろう。ヴァレリーの最大の業績がその出版物ではなく『カイエ』の名で知られるノート群であり、絶大な影響力を持ったベンヤミンの『パサージュ論』が膨大なメモの蓄積からなる未完の書であることも、これと無関係ではない。

次は「パラファナリア」である。身のまわり品、あるいは道具一式を指す。例えば「旅のパラファナリア」と言えばノートに万年筆、折りたたみ傘、着替え、カメラ、それらをしまう鞄などが含まれるだろうし、「探偵のパラファナリア」と言えば、それが現実的なものかどうかはさておき、虫眼鏡やいざという時のための拳銃、それに推理に耽るときの相棒として、パイプを入れてもよいだろう。このようにパラファナリアは、きわめてゆるやかに品物をカテゴライズする。それらの品物は「お決まり」のものではあるが「必然」ではなく、その都度範囲が変動する可能性を孕んでいる。

増殖を続ける『失われた時を求めて』。

増殖を続ける『失われた時を求めて』。

最後は「マルジナリア」である。「周辺的事項」を意味するこの語は最も象徴的であろう。本文ではなく注釈、欄外の書き込み、解答ではなくさらなる思索の入り口となるもの。そのようなものこそ「マルジナリア」である。書物の「余白」をも意味するこの言葉は三つのなかで日本人にもっとも身近である。澁澤龍彦に同名の著作があることを思い起こされる向きもあるだろう。

プルーストが大判の手帳にほとんど無限の紙を継ぎ足して『失われた時を求めて』を執筆し、ボルヘスが物語ではなく物語の生成を表現するために断片的な作品を書き継ぎ、正規の教育を受けていないどころか社会の規範から逸脱する芸術家たちによる表現が「生(なま)の芸術」としてもてはやされた二十世紀ほど、思考を欲する人々が西洋的な価値観からの脱却にあくせくした世紀はない。中心よりも周縁、王道よりも邪道、正統よりも横紙破りが珍重されたのはしかし、何もそれが最初というわけではない。二十世紀を「大きな物語の終わり」などと呼ぶのは典型的な学者の独りよがりである。表現も思考も、常に逸脱によって担保されていた。その事実を言語化する術を、世界が驚くほど最近まで知らずにいただけのことである。めもらびりあ、ぱらふぁなりあ、まるじなりあ、と呪文のような響きを呈する三つの言葉は、知ることのよろこびを秘めやかに湛えている。