ロマンのロマンなロマン

小説を英語でノヴェル novel という。その語源はイタリア語の novella、つまり「新しい」である。したがって小説というよりは「新説」、あるいは日本ではまったくべつの意味合いをともなう「新書」とでも呼ぶべきものであろう。しかし英語でノヴェラ novella と言えば中編小説の意味にとるのが普通で、ここでは -la は縮小語尾の様相を呈している。さらにストーリー story といえば短編小説になるが、この三つの棲み分けが、およそ今日、小説と呼ばれる形式の全体を成している。ところが大西洋を渡ると、多くの言語で小説がロマン roman と呼ばれることは無視できない。それは中世に隆盛したロマンス、すなわち騎士道物語を指す言葉であった。

十二世紀頃、とくにフランスで盛んに書かれたのが武勲詩である。前時代のフランス君主たちの夷狄との闘いに、さらに巨人や魔物と四つに組む冒険譚が加わった空想的な叙事詩は、道化役者などによって朗々と演じられ、人々を熱狂させた。一方、これらの物語から宮廷の恋愛事情、とくに騎士道的な主題を抽出して語る吟遊詩人たちが現れた。彼らのなかにはリュートを背負った貧しい芸人もいれば、詩作と作曲の技術を身につけ、自らの体験を織り込んで語る貴族や騎士もいたのである。

十三世紀初頭までに書かれたグルジアの叙事詩『豹皮の騎士』の写本(十七世紀)

十三世紀初頭までに書かれたグルジアの叙事詩『豹皮の騎士』の写本(十七世紀)

こうして中世になると、それまでに蓄積されてきた神話伝説の類を吸収しながら、本格的な構成を持った騎士道物語がつぎつぎと世に出ることになる。作者不詳の『ガウェイン卿と緑の騎士』のようにまだ韻文を引きずっているものもあれば、ウェールズの破天荒な騎士であったトマス・マロリーの長大な『アーサー王の死』のように散文で書かれたものもある。

多くのものが書かれたということはつまり、多くのものが読まれたということに他ならない。この時代はまさに印刷術の発展期であり、なおかつ、紙が廉価に手に入るようになった時代でもある。もはや書物は権力の所有を象徴する「知」の財産ではなくなった。食堂の軒先で日を浴びながら本を読むことも、旅のお供に本を一冊しのばせてゆくことも、すっかり日常茶飯事になったのである。

やがてセルバンテスが『ドン・キホーテ』で騎士道物語を解体したとき、中世は終わる。だが騎士道小説の主題、すなわち愛と冒険は、その後もあらゆる文芸の中心であり続けたのである。だからこそロマンスという言葉も今日まで生きながらえ、小説が真に人々のものになった時代をいつまでも記念しているのであろう。誰もが本を読む時代においてそれはもっとも本能的な主題であって、何も惚れた腫れたの「ロマンチック」な物語の専売特許ではない。

『アーサー王の死』の挿絵 「エクスカリバーを水に投げるヴェディヴィア卿」 オーブリー・ビアズリー、1894年

『アーサー王の死』の挿絵
「エクスカリバーを水に投げるヴェディヴィア卿」
オーブリー・ビアズリー、1894年

近代日本の文学にも並々ならぬ影響を与えたロマン主義は、言うまでもなくそのような価値観への集団的な回顧であった。古典主義へのアンチテーゼでもあったロマン主義にとっては、ローマ帝国の古典を換骨奪胎しえた後の、庶民化された芸術こそが重要だったのである。しかしロマンという言葉そのものがローマを意味していることを考えると、そこにはいかにも人間らしい矛盾がある。

ところで初代の王ロムルスに因んで名づけられたローマ帝国ではあるが、そのロムルスという言葉が果たしてローマという言葉よりも古いのかどうかはわかっていない。ローマンという名前を持つひとは大勢いるが、それもローマという都市にあやかってのことで、都市以前に何かが存在したわけではない。要するにローマという言葉のルーツは明確ではないのである。一説にはローマを貫くテヴェレ川の古名、ルーメンによると言うが、もしそうだとすれば「流れる」の意になる。

実際、文学は人類のはじめから流れつづけて来たものである。したがってそれは古いのだが、ノヴェルという呼称に示唆されるように、常に新しさを希求するものでもある。そしてその新しさをもたらすのは、いつの時代にも、上流にあるテクストを集め、楽器を片手に、下流に向けて語り直しを行う吟遊詩人たちに他ならない。