道化道一歩

西洋文化における道化のありようを考察するには、街の雑踏や、刑務所や、静かな森や、月夜や、王宮といった場所を、まんべんなく渉猟しなければならない。だがいったいどこに目を配って歩を進めればよいと言うのだろうか? それほどに「道化」という言葉が持つイメージは曖昧で、つかみどころがなく、ともすると四方八方に飛散しがちである。

彼らは歴史の表舞台から滑り落ちた存在なのだ、と仮定してみることは容易い。そうだとすれば、道化の研究はすなわちオカルティズムの研究ということになる。澁澤龍彥は『貝殻と頭蓋骨』に収められた一文のなかで、オカルティズムに次のような定義を与えている。「つまり、科学的合理的な方法によっては捉えられない、超経験的な自然の原理、あるいは人間の原理の存在を信じ、これを研究しようとする学問、そうした種々の『隠された学問』scientia occulta の総称として、オカルティズムという言葉が使われるわけである。」そんなオカルティズムの研究領域には、「魔術、占星術、錬金術、ヘルメス学、カバラ、神智学、降神術、心霊術、手相術、ほくろ占い、骨相術、妖術、カルタ占い」などが含まれる。確かにこれらの領域にはいずれも道化を発見する余地があるように思われるし、異なる領域の境目も、道化ならば易々と飛び越えてしまうだろう。

なるほど、魅力的な仮定ではある。謎と神秘は常に魅力的だ。しかし、道化のように神出鬼没な存在を、「オカルティズム」という枠に閉じ込めてしまうことは危険であろう。そもそも、理解の難しいものに片手間で捏造したレッテルを貼ってしまうような文明の態度こそが、道化という存在の温床なのである。「臭い物には蓋」でごまかしていれば、腐敗は進行するばかりなのだ。むしろ一切の秘密や装飾を排除し、冷静な距離を保ちつつ観察することが、道化に魅入られずにその正体に近づく最良の手段ではないだろうか。何しろ彼らは至るところにいるのだから、油断はできないのである。

まず道化と聞くと、サーカスの一場面を思い出さずにはいられないだろう。木下であれ、ボリショイであれ、シルク・ドゥ・ソレイユであれ、道化師の登場しないサーカスはまず存在しない。彼らは涙を浮かべて笑いながら、馬に蹴られたり、犬をけしかけられたり、かと思うと器用に風船で細工を作ったり、梯子のてっぺんから勇敢に飛び降りたりする。いわば彼らは極端に親しみやすい英雄であって、そのためか特に子供に愛されている。アメリカなどではだぶついたズボンをはき、赤い巻毛の鬘を冠って、どぎつく口紅を塗った典型的な道化師が、大天幕の下のみならず、誕生日の子供の家に呼ばれて芸をすることがいまでもしばしばある。日本では普通「サーカスのピエロ」と言うが、彼らは英語ではクラウン clown と呼ばれる。そしてこれがフランスやイタリアでも外来語としてそのまま使用されていることは注目に値するだろう。道化たちにはそれぞれ様々な来歴や役割があるわけだが、とりあえずクラウンについてはサーカスの道化役者、とくに現代的な、アメリカナイズされたものを指すのだと思っていただければよい。

だがクラウンたちは愛されてばかりいるわけではないのである。アメリカでは近年、クールロフォビア(クラウン恐怖症)に悩まされる人間が増えつつあるようだ。クールロの語源は古代ギリシャ語のコーロバトリステースで、「竹馬に乗る者」を意味する。つまり竹馬に乗った大道芸人のように、派手な衣装と異常な化粧を身にまとい、見慣れない行動をとる者に対する、一種根源的な恐怖である。患者のほとんどが子供だというのは当然だろう。小さな子供というのはサンタクロースの恰好をした父親にも怯えるものだ。しかし英国のシェフィールド大学が行った研究では、クールロフォビアの子供たちがカーテンの模様として描かれたクラウンにさえ恐怖を感じるという結果が出ている。おまけに、思春期はおろか、成年に達してもクラウンへの恐怖を拭いされないケースが増えているのである。このような行き過ぎとも思えるクラウン恐怖の一端が、メディアにより煽られていることは疑いを容れない。コミック「バットマン」の悪役であるジョーカーや、クラウンとして近所の子供たちの人気を集める一方、三十余人の青少年を強姦して死に至らしめたジョン・ウェイン・ゲイシーのような「殺人道化師」たちは、二十世紀のメディアを大いに賑わせたのである。

とはいえ、私たちが道化たちに感じる親しみも、恐怖も、その根は遥かに深いものである。たとえばクラウンの原形ひとつ取ってみても、道化の系譜の複雑さが浮かび上がる。コメディア・デラルテの道化師やフランスのルネサンス期に脚光を浴びたブフォン bouffon、宮廷の幇間でしばしば侏儒であったジェスター jester などはいずれもクラウンの原形の一つと言われており、それどころか西洋の文脈を離れて日本の歌舞伎の影響を示唆する研究者もいる。

しかしクラウンの祖先としていちばんしっくり来るのは、やはり最初に挙げたコメディア・デラルテの道化師だろう。コメディア・デラルテは十五世紀イタリアで萌芽し、二百年ものあいだ最盛期を維持した即興劇である。普通、屋外で演じられ、費用は篤志家が出したため、まさに万人のための出し物と言えた。芝居の内容は当然ながらもっとも庶民の心をつかむもの、すなわち同時代への諷刺や醜聞、それに金満家と貧乏人、都会人と田舎者の対決などである。彼らの芝居は演劇用語にいうストック・キャラクターにより演じられる。これは特定の性質を背負わされた類型的なキャラクターのことであり、落語で言えば短気で酒に目がない熊さん、がらがらしておっちょこちょいな八っつあんなどが代表格である。そしてコメディア・デラルテを代表するストック・キャラクターと言えばアルレッキーノ Arlecchino だ。英語ではハーレクイン Harlequin 、仏語ではアルルカン Arlequin と呼ばれるこの道化師・軽業師が、色鮮やかな菱形を連ねたつなぎを着ている姿は、どなたにも見覚えがあるだろう。

さてアルレッキーノに付帯する性質を見ると、まず彼は召使いである。額の狭い、疣のある仮面をかぶり、黒靴下を首に巻いていることもある。彼は自身の女性的な陰画とも見えるコロンビーナに惚れ込んでいるが、袖にされてばかりいる。またいつも主人に一泡吹かせてやろうと一計を案じているのだが、こちらも成功したためしがない。このようにアルレッキーノは文字通り「お道化た」存在なのである。コメディア・デラルテの芝居では本筋とはべつに、ラッツォと呼ばれるお定まりの笑劇が幕間にさしはさまれるが、これにきっかけを与えるのがもっぱらアルレッキーノであることは自然と言えるだろう。

このアルレッキーノおよびコメディア・デラルテの面々は、いわば現代的な道化の祖と言うことができる。今日の「ピエロ」という言葉も、アルレッキーノの同僚であるペドロリーノ Pedrolino から出ている。ペドロリーノは白いだぶだぶの服を来た従順な男で、やはりコロンビーナに好意を寄せてはいるものの相手にされず、悲しげな表情をしていることが多い。俗に言う「悲しきピエロ」というやつである。ではコメディア・デラルテの誕生以前、つまり道化が大衆のまえに堂々と姿を現し、庶民の気持を代弁するようになる以前、彼らはどこにいたのだろうか? すくなくとも欧州の宮廷を覗いてみれば、彼らを見つけることは難しくなかったはずだ。

 

ヴァトーの師であるクロード・ジローによるストック・キャラクターの図。 右端にいるのがピエロことペドロリーノである。十八世紀。

ヴァトーの師であるクロード・ジローによるストック・キャラクターの図。
右端にいるのがピエロことペドロリーノである。十八世紀。

宮廷に仕え、諧謔や曲芸によって君主を楽しませることを生業とする者をジェスターと呼ぶ。彼らには、晩くともルネサンス期には確立されていた典型的な衣装というものがあるのだが、それは驚くほどアルレッキーノの衣装に似ており、両者が決して無関係な存在ではないことを物語っている。ただしジェスターの衣装にはさらに重要な特徴がある。一つは、先が三つに分かれ、先端に鈴のついた帽子である。何のことはない、トランプのジョーカーの冠っているものとおなじだ。ジョーカーもこのジェスターに他ならないのである。ジョーカーの札が、絵札やエース、数字の多寡などというトランプのヒエラルキーを無視することができるのと同様、ジェスターもまた「道化である」という免罪符の下、君主に好き勝手な口をきくことが許された。そして、ジェスターの持物でいま一つ重要なのが、道化棒 bauble と呼ばれる杖である。これはそれ自体、王の持つ錫杖のパロディであり、価値の転換を示唆する小道具なのである。

ところで宮廷ジェスターたちは、大まかに言って二種類に分けることができる。一つは「公認の道化」であり、彼らはジャグリングなどの曲芸や、音楽、おどけ芝居、そして機知に富んだ諧謔などの才能を買われ、宮廷で禄を食むこととなる。つまり身体的能力にしろ、芸術的才能にしろ、頭の回転にしろ、何かしらの力が抜きん出ていなければ「公認の道化」にはなれないのであって、彼らはこれまでに論じた道化の概念とは一線を画した知的な人種なのである。当然、彼らはエリートであり、ときには王の決定をも左右する側近のような立場にあった。次に二つ目だが、こちらは打って変わって「自然の道化」である。彼らは神の御業によって著しい身体的特徴や、知性の欠如を背負って産まれてきた存在であり、その神秘をもって雇い主を興がらせ、驚嘆せしめることを務めとしていた。彼らもまた、例え礼儀に外れた行動をとっても、それは神の手の悪戯であるとして咎められないという特権を持っていた。道化という概念の根源的な部分を探るためには、彼ら「自然の道化」についても充分な注意を注がなければならない。

そんな宮廷ジェスターたちの活躍の場が失われたのは、英国の清教徒革命のせいであると言われている。一六四九年、国王チャールズ一世が処刑され、イングランド共和国が成立した。チャールズが召集した議会である長期議会は解散し、残部議会が国の運営に当たるようになった。その一員であったオリヴァー・クロムウェルは、アイルランドおよびスコットランド制圧の第一線で活躍し、ついに一六五三年、共和国の護国卿となった。これはあくまで政治的な地位であり、就任式でのクロムウェルのいでたちも黒一色の地味なものであったが、彼に王の自覚がなかったとは考えにくい。護国卿としての彼の署名は Oliver P であった。これは Protector (護国者)の略であり、王が署名するときに Rex や Regina を略して名前の下に R とつけるやり方に則している。そして周囲の者も、いつかしらクロムウェルを「陛下」と呼びならすようになった。彼が採用した紋章はイングランド、スコットランド、アイルランドの旗印に自身の化身である獅子と王冠を配した俗悪なものである。まして護国卿の報酬は当時の金額で年十万ポンドであったというから、その暮らしぶりも王族に引けを取らなかっただろう。

いや、引けを取らないどころか、クロムウェルの専制君主ぶりはなかなかのものだった。神に選ばれた清教徒として英国民の精神改革を謳う彼は、民主化を目指す議会をさっさと解散させると、自分に忠実な軍人のみを取り立てて軍国主義の道を邁進した。当然、軍費のかさむほどに王政復古を望む声は高まったが、一六五八年に病没したクロムウェルは最期まで王様気取りであった。しかしそうは問屋が卸さない。一六六〇年、王政復古によりチャールズ二世が国王となった翌年、彼の遺骸はウェストミンスター寺院から掘り起こされ、王殺しの廉で改めて斬首刑となった。その後もさらし首になったり、転売されたりして、クロムウェルが土のなかで永遠の眠りに就くことを許されたのは、なんと一九六〇年になってからのことであった。

宮廷道化ジェスターにとって、クロムウェルの生涯は恰好の話の種だろう。しかしクロムウェル本人には、ジェスターを養う趣味はなかった。そもそも一介の地方郷士に過ぎず、筋金入りの政治家であったクロムウェルには、貴族的な趣味感覚そのものが欠落していたのだろう。ところが王政復古が成っても、ジェスターたちが以前のように宮廷で活躍することはなかった。それは欧州の他の国々でも同様である。ヨーロッパでは飢饉と戦争が頻発し、アジアには大帝国が花開き、新大陸に続々と移民が流れ込んでいた十七世紀には笑い飛ばすべき事柄が多すぎて、もはや宮廷ジェスターの手には負えなくなっていたのかもしれない。その代わり、彼らは道化という存在に戻り、宮廷の外で活躍を続けた。コメディア・デラルテに合流したり、イギリスの人形劇パンチ・アンド・ジュディーを完成形に導いたり、新大陸のサーカス芸人になったり、あるいは場末の酒場のコメディアンになったりしたのである。どうやら道化の樹の枝葉は、現代が近づくにつれていよいよ複雑怪奇に分かれはじめたらしい。

と、道化の歴史をひもとこうとしだせばきりがない。ウィルフォードの『道化と笏丈』のように、道化を扱う研究書が表象文化論の領域で珍重されていることを見れば明らかだが、どうも彼らの歴程を洗っても、連想に継ぐ連想が玉ねぎの皮をむいたように現れるだけで、結論など出そうもないのである。というわけで、次の箴言をもってひとまず了としたい。

stultorum plena sunt ominia
stultorum infinitus est numerus

至るところに道化あり
道化の数に限りなし