ヘルメス礼讃

シュテュンプケの『鼻行類』に登場する奇妙な生きものたちの虚ろな目は、そのまま近代の学問が何の前触れもなく空虚に帰してしまう可能性を指呼しているように思われてならない。だがそれは警鐘というよりも勝鬨である。つまり私たちは、どの書物にも一片の真実を見出だし、多くの書物をして真理を相反照せしめる、というヘルメス主義の流儀に、堂々と敬意を払う必要があるのではないだろうか。

ヘルメスはゼウスの子である。妻ヘーラーに隠れ、嘘をつき、別の女に産ませた子供なので、ヘルメスは生まれながらに手練の泥棒であり嘘つきであった。父に任された仕事は伝令であったので、旅人と商人に崇められる神になった。能弁で、発明の才にも長け、夢と眠りまで司るヘルメスは、死後の世界では水先案内人も務めた。ペタソスという丸い帽子を冠り、短い杖ケーリュケイオンを持ち、翼の生えたタラリアというサンダルを履いているところは、まさに旅人の出で立ちである。

このような変幻自在ぶり、あるいは掴みどころのなさが、まさにヘルメスの価値を規定している。ラテン名のメルクリウスは、そのまま水銀の名前となった。金属でありながら液体である水銀は錬金術師たちを大いに魅了し、彼らはオリュンポス十二神の一人であるヘルメスを、第十二族元素の一つである水銀の象徴としたのである。さらにメルクリウスは水星でもある。この惑星の運行もまたせわしなく、いくつもの顔と何枚もの舌を持つヘルメスを彷彿とさせる。

古代ギリシャで境界線を示し、旅程の道しるべともなったヘルメ柱。髭を生やし、陽根を誇示する。境界線を易々と越えるヘルメスの一つの表象としてふさわしい。


古代ギリシャで境界線を示し、旅程の道しるべともなったヘルメ柱。髭を生やし、陽根を誇示する。境界線を易々と越えるヘルメスの一つの表象としてふさわしい。

こうなればヘルメス主義と呼ばれる学問の体系が徐々に形成されてきたことには何の不思議もない。ヘルメス主義が他の体系と異なるのは、まさに明瞭な体系を持たない、という点においてだからである。ウンベルト・エーコがジョナサン・カラーやリチャード・ローティと行った連続講義(『エーコの読みと深読み』岩波書店)のなかで述べているように、ヘルメス主義的な発想では、あらゆるレベルでの類似性が、ある記号を別の記号へと変化させることができる。つまり、すべての秘密が別の秘密への入口であって、しかも、どこまでいっても真実にはたどりつかないのである。言い換えれば、ヘルメス主義は言語現象として世界を捉えながら、言語に伝達力を認めない。

この一種の悲観主義は、ヘルメス主義の実践であるグノーシス派にも受け継がれている。グノーシス派の考えでは、不可知の神のなかには悪の芽もあり、なおかつ神は両性具有的である。この矛盾した神の下、造物主デミウルゴスはあたかも中絶されたような「間違った」宇宙を造る。そこには永遠を模倣することに失敗したばかりに、時間という厄介なものが流れている。ゆえにグノーシス派は時間や歴史に拒絶反応を示すのである。信徒たちは、自分は一時的に追放された神性の一部であると考える。彼らは帰れない場所に帰ろうと願う。

この彷徨の意識もまた、知識の体系化を使命とするプラトン以来の知的モデルが生んだひずみに他ならない。実際、ギリシャは多民族と多言語を抱える多様化した世界であった。彼らは聞き知らぬ言語を話す者を野蛮人と呼び遠ざけた。なかでも領土間を自由に往還し、わがもの顔をする遊牧民は唾棄すべき蛮族であった。だがヘルメス主義に戻れば、遊牧民こそ希望の灯火である。彼らは世界の不完全さを全身にまとい、知を弄ぶ都市の人間を嘲笑う。

以上のような中心と周縁の終わりなき闘いの火種は、現代においてこそ、なおさら鎮めてはならないものであろう。現に二十世紀後半の思想は、しばしばヘルメス主義と隣り合わせにあったと言ってよい。例えばヘルメスは、エジプトの叡智の神トートと融合し、ヘルメス・トリスメギストスとなった。このエジプトの死の神、記録者である神こそ、デリダが「書かれる言葉」の象徴とした神である。また遊牧民という存在が、ドゥルーズ=ガタリの著作において理想的なモデルになっていることは言うまでもない。

生れたその日に五十頭の牛を盗んだヘルメスは、罪を疑われてこんな嘘をつく。「自分は嘘のつき方など知らない」と。真実と嘘の二項対立では、とても真実に近づくことなどできはしないのである。