女神を三枚におろす

アフロディテは必ずしもギリシア神話の中心的な神ではない。主神ゼウスの世代を超えた父子間の争いや、その娘アテナの誕生にまつわる物語と比べると、厳かさの点で少々引けを取ると言わざるを得ない。とはいえ、知名度ではアフロディテが誰よりも勝るのではないだろうか。日本のようにギリシア神話が生活に影を落としていない国でも、アフロディテはヴィーナスの名で広く知られている。それどころか、ヨーロッパ文化のある程度浸透している地域ならばどこへ行っても、美しい女性はこの女神の名で呼ばれ、その名を聞く人はそれぞれが思い描く女性の理想像をこの名に結びつける。つまり今日では、アフロディテはギリシア神話のコンテクストを離れ、独自の地位を与えられているのである。では、いかにしてアフロディテはオリュンポスを下山し地上の美女となったのか。

アフロディテは天神ウラノスの男根から誕生したとされる。ウラノスは自分の身を案じるあまり息子たちを喰い滅ぼそうとしたので、息子の一人であるクロノスによって陽物を切断された。海に投じられたそれは泡を発し、ついでそこからアフロディテが漂い出た。このように、ギリシアの神々の始祖であるウラノスの陽物、いわば世界の根源であるところの男根から彼女が誕生したというのは興味深い。近代の神話学でも、アフロディテは元来、当方系の大地豊穣の地母神であったと位置づけられている。たしかなのは、アフロディテは太古の昔から存在する古い神ということである。

さて彼女は美と愛の神であるので、当然ながら、美しい肉体を持った、恋多き女性として描かれる。夫を持つ身でありながら軍神アレス、さらには美少年アドニスに恋をし、あるいはプシュケが絶世の美女として巷間を騒がせているのを知ると、息子であるアモールを差し向けて彼女を醜男と結びつけようとするなど、嫉妬深い一面も見せる。つまり彼女は誇り高い女神であると同時に、恋多く嫉妬深い人間的な側面をも持ち合わせていた。

紀元前460年頃の「アフロディテの誕生」で、あたかも泡のなかから浮かび上がって来るかのように描かれているアフロディテは、まだ薄衣をまとっている。この時代、男性像は既に裸体であったが、女性像はまだ着衣である。美しい肉体を持った美の女神も例外ではない。時代が降りクラシック時代になると女神はいよいよ豊満になるが、それでも着衣のままである。ところが前四世紀に入ると、プラクシテレスの「クニドスのアフロディテ」を以て、ついに女神は衣を脱ぐ。これを転機とするかのようにアフロディテの官能性は解放され、彫刻作品の表現が豊かになるにしたがって、様々な姿態のアフロディテが見られるようになる。特筆すべきはサドが称讃した、水浴を誰かに見られ、まさに恥部を隠そうとしている瞬間を捉えたような「メディチ家のヴィーナス」(前一世紀)と、多くの芸術家にその官能性を愛された「美しい尻を見せるヴィーナス」(前100年頃)であろう。だが、裸体の女神の伝統はローマ時代のポンペイの壁画などに引継がれてゆくものの、キリスト教が力を増す中世には姿を消してしまう。その復活にはルネサンスの到来を待たねばならない。

メディチ家のヴィーナス。大理石のレプリカ ウフィツィ美術館蔵。

メディチ家のヴィーナス。大理石のレプリカ
ウフィツィ美術館蔵。

ボッティチェリは1485年頃に、メディチ家の庇護下で、「異端」であるギリシア神話を題材にした大作「ヴィーナスの誕生」を描く。このアフロディテは裸体であるが、立ち姿はほのかな恥じらいを漂わせ、その美の輝きは背後にある天上の愛と叡智を感じさせる。つまりこのアフロディテはキリスト教典の説くところを体現しており、女神の優美と慈愛はそのまま聖母の姿と重ねることができるのだ。これによりアフロディテは「裸のマリア」としての地位を与えられ、キリスト教が支配する世界で芸術の対象となる資格を得たのである。

さて、これは当然の結果と言えるだろうが、いざそうなると、アフロディテは徐々に人間らしさ、女らしさを増してゆく。「ヴィーナス」と題された高級娼婦の似姿が男性の私的なコレクションに加わり、人々は単に美しい魅惑的な女性を指して、女神の名を用いるようになった。このあたりの事情を鋭く反映しているのがシェイクスピアの長詩、「ヴィーナスとアドニス」である。この詩のなかのアフロディテは女神でありながら「汗ばむ肉欲の女王」と呼ばれる。汚れなきアドニスはそのあくどいまでの官能に圧倒され、女神を恋するどころか跳ねつけてしまうのだ。この少々卑俗な詩は、アフロディテの二面性を見事に浮き彫りにしている。女神であるはずのアフロディテは恋の虜となり、威厳を忘れて美少年につきまとった。つまり彼女は地上的な愛(アフロディテ・パンデモス)を求めるあまり、女神としての天上の愛(アフロディテ・ウラニア)をおろそかにしてしまったのだ。だからアフロディテは、女神でありながら失恋の辛酸を舐めるという羽目に陥った。「ヴィーナスとアドニス」が示すのは神の転落の構図なのである。

あまりにも有名なボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」。ウフィツィ蔵。

あまりにも有名なボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」。ウフィツィ蔵。

ボッティチェリをはじめとする十五世紀の人文主義者たちは、このアフロディテの二面性をすでに理解していた。何故ならプラトンが『饗宴』のなかですでにこの点を論じているからであり、十五世紀の人文主義者なら『饗宴』を読んでいたからである。ボッティチェリはマリアのようなアフロディテを描きながら、同時に女としてのアフロディテをも描いたのだ。もはや絵画において、裸婦は正統となった。

しかしアフロディテは裸にされただけではない。蝋細工師クレメンテ・スジーニが1782年に完成したアフロディテ像は精密な解剖模型である。この蝋人形は「医師たち(=メディチ)のヴィーナス」というユーモラスな渾名を持つ。ついにアフロディテは、その美しい白皙の肌の内部までをも衆目に晒すようになったのである。それどころかスジーニは次に「腹を裂かれたヴィーナス」を製作し、彼女の内臓を体の外にまで躍動させる。この種の人形は医師たちのみならず芸術家たちからも歓迎され、街頭では見世物としても人気を博した。

スジーニ「小さなヴィーナス」。パラッツォ・ポッジ博物館蔵。

スジーニ「小さなヴィーナス」。パラッツォ・ポッジ博物館蔵。

ここまで来ると、もはやアフロディテは女神というよりも女である。少なくともこれ以降、アフロディテの姿を見る者は必ず女神のほかに女を、あるいは後者のみを意識するようになった。だから日本の場合だと、人々がアフロディテを知ったときには、彼女はすでに女でもあったのだ。1950年代後半に日本のいわゆる「赤線」が廃止された折り、「VENUS」という名のカフェも取り壊された。この春をひさいだカフェの看板は、奇しくもボッティチェリの「春」に取材されていたのである。

このようにしてアフロディテは女神から女になった。してみると彼女の運命は神話のなかでよりもずっと過酷である。人間は彼女を性欲の解放のために利用し、望みが叶うと棄ててしまった。ちょうど戦に勝った国が負けた国の芸術品を破壊するように、欲望の国は裸体のアフロディテを傀儡として祭り上げ、聖母の顔を持った信仰の国のアフロディテを滅ぼしてしまったのである。二人のアフロディテは同じものであったのに、無理に引き離され、片方が膨張するにしたがって、片方は萎びた。まさにこの過程を表現しているようにも見える「腹を裂かれたヴィーナス」の抉り出された内臓は、そんな彼女の悲しみを物語っているのかもしれない。しかし美の神である以上、やはりアフロディテは自らの美に裏切られる宿命を負わねばならなかったのである。