恋人は野蛮人

野蛮人という言葉は、最近ではあまり耳にしなくなった。未開人、という西洋至上主義的な、押し付けがましい言葉のほうが世間体がよいらしい。しかし行いが粗暴であるとか、対話よりも肉弾戦で話をつけようとする人種に投げかける文句は、やはり「この野蛮人!」でなければならないだろう。

英語では野蛮人を barbarian と呼ぶが、これはもちろんギリシャ語のバルバロス(βάρβαρος)から来ている。古代ギリシャ人は、およそギリシャ以外のすべての民族をこの名で呼んだ。それはむろん揶揄嘲笑でもあったのだが、同時に、得体の知れない部外者への畏怖の捌け口でもあった。この名で呼ばれた人々には、北アフリカに広く生活していた、現在ベルベル人という名で呼ばれる人々はもちろん、エジプト人、ケルト人、ゲルマン人、フェニキア人、カルタゴ人など、あらゆる人種が含まれた。生粋のアテネっ子に言わせれば、同じギリシャ帝国の住人でも、マケドニア人やエーリス人も、立派な野蛮人だった。トルコやモンゴルの諸民族を指す「タタール人」もまた「野蛮人・頑固者」の意なのだが、バルバロスという語ほどの重要性は持たないと言っていい。

ブリューゲル(父)「バベルの塔」1563年   ウィーン美術史美術館蔵。

ブリューゲル(父)「バベルの塔」1563年
ウィーン美術史美術館蔵。

何故なら、バルバロスの語源とは、「わけのわからない言葉を話す者」であるからだ。自らを世界の中心と信じる帝国の住民にとって、理解できない言語とは恐怖でしかない。それは彼らに、自分たちにも理解できないことがあることを思い起こさせずにはおかない。言葉は「名」を与える。それは神の仕事だが、その任務を引き継ぐのは優秀な人間たちの権利である。だがときに、人間たちには神の心を測りかねるときがある。そもそも神の「名」さえ、人間たちからは秘されている。だからこそ現代に至るまで、神や天使の言語が大真面目に探求され、そこに歴史の秘密や陰謀を解き明かす「答え」があると信じる者もすくなくない。だが身の程知らずなふるまいには代償もつきまとう。そもそも人間が言葉への完全な理解の道を絶たれてしまったのも、そんな傲慢さが招いた「バベルの塔崩壊」の結果なのである。こうして人間たちは言葉との間に深い溝を作るトラウマを負った。

ところで、やはり「野蛮人」の範疇に含まれたであろうニコメディアに、バルバラという一人の美女がいた。裕福な地主の娘であった彼女の元には求婚者が絶えなかったが、彼女はそのすべてを拒絶し、父親から見れば異端の宗教であるキリスト教に帰依してしまった。父は激怒し娘を官憲の手に引き渡す。彼女は裸にされ、玉の肌は容赦ない鞭の洗礼を受けた。神はバルバラを守るべく雲で彼女の体を包んだが、父親が自ら振り下ろした剣までは止めることができなかった。こうしてバルバラは殉教し、聖者となり、修道女の模範として尊敬されるようになった。世界中にバルバラ、あるいはバーバラという名の女性がいるのもこの聖女のためである。

バルバラがその名を持つのは、彼女が辺境の地の生れであるからだろう。しかしバルバロスには「舌足らず」というニュアンスもあるため、赤ん坊(baby)の語源にもなっている。そうしてみると、毅然として己を貫き、しかもコケティッシュな「いい女」(baby)であるアメリカ人女性の存在が浮かび上がって来る。言わずと知れたバービーである。

 2009年に発売された50周年記念の典型的バービー

 2009年に発売された50周年記念の典型的バービー

バービー人形はマテル社のルース・ハンドラーが娘のバーバラのために開発した人形だが、その原形はドイツのリリという人形であった。リリはタブロイド紙「ビルト」の埋草としてはじまった漫画の主人公で、童顔に豊満な肉体を持ち、自立した職業婦人なのだが、贅沢のためなら頭の禿げ上がった中年男と平気で寝てしまう、といういかにもアプレな娘なのである。いわゆるバービーの、金髪でグラマー、陽気でやや身持ちが悪い、というイメージも、その大部分はリリからの遺伝と言える。もっともいまでは、リリのほうはすっかり忘れ去られてしまった。

バービーのような女がいるから女性の地位が向上しない、というのはすっかり使い古されたウーマン・リブの文句になってしまったが、「バービーのような女」は相変わらず愛され、それに憧れる子供たちも跡を絶たない。それにしても世界唯一の超大国となったアメリカに君臨する理想の女性、アメリカの恋人とも言えるバービーが、「野蛮人」という名を持つことは興味深い偶然である。アメリカもまたかつてのギリシャ帝国のように、いや、あるいはそれ以上に、世界中の「野蛮人」の平定に熱意を傾ける国であるのだから。