マンネリを打破せよ

ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロなどにより、芸術は完成を見たかに思えた。それは絵画や彫刻という枠組のなかに完全な調和を持った世界を構築するという行為を可能にした。芸術は現実の模倣である。しかし完璧な模倣は現実を超越するのだ。

ミケランジェロの弟子、ジョルジオ・ヴァザーリはその大著『最も優れたる画家、彫刻家、および建築家たちの生涯』の第二版(1568)で、マニエラという用語を用いている。マニエラとはすなわち手法のことであり、とくに、完成形としての手法であるミケランジェロのそれを指した。しかし、技術の完成と芸術の完成は同義ではない。達成された秩序は、破壊されなければならないのだ。ヴァザーリ自身、自らを「現代のマニエラ」の使い手と評している。

現在と同じ意味でマニエリスムという区分を使いはじめたのは、スイスの歴史家ヤーコプ・ブルクハルトである。それは十六世紀のイタリアを中心とする「分類できない絵画」を分類するための言葉であった。それらの作品は、ルセサンス華やかなりし時代の調和・華美・古典回帰という価値観から、まさに歪みはじめた時期の作品群である。それはあの脅威と歪曲を享楽の域にまで高めたバロックを準備する時期でもあった。

システィナ礼拝堂の祭壇を飾るミケランジェロの「最後の審判」(1541) ルネサンスの巨匠の到達点であるこの作品には、すでに他ならぬミケランジェロ自身によるマニエリスムへの移行が認められる

システィナ礼拝堂の祭壇を飾るミケランジェロの「最後の審判」(1541)
ルネサンスの巨匠の到達点であるこの作品には、すでに他ならぬミケランジェロ自身によるマニエリスムへの移行が認められる

エル・グレコも、そのような歪んだ絵によって「見えないもの」を表現しようとした画家である。エル・グレコは「ギリシャ人」を意味する渾名であり、作品にはその本名ドメニコス・テオトコプーロスをギリシャ文字で署名した。すなわち、Δομήνικος Θεοτοκόπουλος Κρής という風に。末尾のΚρής は「クレタ人」の意である。それは故郷クレタ島への彼の強い想いを物語っている。

というのも、彼が故郷で過ごしたのは七十余年の生涯のうち、最初の二十数年に過ぎない。画家として立ったグレコは1567年、当時クレタ島を領有していたヴェネツィアへと赴くと、1570年にはローマへ、そして1576年にはスペインへ渡っている。それから死を迎える1614年まで、グレコはほとんどの時間をトレドで過ごす。

スペインのど真ん中に位置するトレドは、かつてゲルマン系の西ゴート王国の首都であった上、レコンキスタ以前はイスラムの支配下にあり、ユダヤ人の多い都市でもあった。しかし諸民族は常にいがみ合っていたわけではない。十三世紀のトレドにはスペイン人、ユダヤ人、アラブ人からなる学者たちのグループが存在し、哲学書や神学、科学に関する文献の翻訳が行われたのである。つまりトレドは、ルネサンスの実現にとって欠かせない都市であった。そんな都市に、ミノア文明以来のギリシャの伝統と、イタリアのルネサンスを肌で知るグレコがやってくるのは、やはり必然という他ないだろう。

聖ヒエロニムスはグレコの好んだ主題の一つだ。ヒエロニムスはギリシャ語で書かれた聖書をラテン語訳したり、異教徒と武力ではなく言葉による論争を試みるなど、トレドの風土とも、グレコのバックグラウンドとも重なるところの多い人物である。この作品でもわかるように、グレコはしばしば聖人など神話的な人物を肖像画として描いた。机に置かれた髑髏や砂時計は言わずと知れたメメント・モリの小道具であり、十六世紀の人文主義者の姿が、四世紀の聖職者の姿に重ねられているのである。

グレコ「聖ヒエロニムス」1600年頃

グレコ「聖ヒエロニムス」1600年頃

グレコ「芸術家の自画像」1595年頃

グレコ「芸術家の自画像」1595年頃

一方、この自画像とおぼしき一枚によく表れているように、グレコの作品においては生者までもが死者のように描かれる、という一種の逆転現象も頻繁に見られる。グレコの特徴である灰色がかった肌色は生気とは程遠いが、その人物の心の内を反映するかのような重々しさを持っている。それは過去の聖人であれ現代の人間であれ、その目に見えない部分を描こうとしたグレコの奮闘の結果であろう。理論家でもあった彼は、芸術と模倣の関係性について少なからぬ考察を残している。

そして人間と聖者とが一堂に会するとき、グレコの絵はもっともグレコらしさを獲得する。極端に歪んだ肉体はキリストの復活をまえにした脅威と、信仰心の大きなうねりとを具体化したものだろう。それはおよそ半世紀後、ベルニーニの「聖テレジアの法悦」などによって彫刻に表現されるものと同じである。だが原色をためらいもなく並べたグレコの絵は、さらにずっと先の印象主義をさえ予告しているように思われる。

グレコ「キリストの復活」1600年頃

グレコ「キリストの復活」1600年頃

現在東京都美術館で開催中の「エル・グレコ展」は、そんなグレコの作品ばかり51枚が並ぶ稀有な催しとなっている。グレコの描く歪みは見る角度によってまったく表情を変えるので、実物を観るに如くはない。それに絵具の発色が写真の場合とかなり違うのは言うまでもない。とはいえ、実物を観るときにも、多くの作品がかつては祭壇画であったことに留意しておきたい。上に挙げたグレコの特徴は、例えば教会建築の一部として観るとき、また新たな意味を獲得するだろうからだ。

それにしても、マニエリスムがやがて生気に欠け、型にはまった表現であるとして「マンネリ」の意味になるとは皮肉な話である。マニエリスムは本来、マンネリからの逃避行に他ならない。