土地の名・名など

オーストリアはタルスドルフに、人口わずか百余りの風光明媚な小邑、フッキングがある。困ったことに、フッキングは Fucking と書く。英語が世界共通語としていよいよ勢いを増し、各国の国語にまで大きな影響を与えはじめている今日でなくとも、その言葉の意味は誰もが知っているだろう。それは単純に汚い言葉ではなく、動詞、名詞、形容詞と姿を変え、間投詞として愛用され、喜怒哀楽のすべてを一身に担うことのできる、およそ世界でもっとも柔軟な言葉のひとつである。叱咤を畏れずに敢えて例を挙げるならば、Fuck, fucking fuck fucking fucked. は文章として立派に成立するのである。

しかしこの村の名は、上述の言葉とは恐らく関係がない。Fuck の語源は「打つ、貫く」あるいは「耕す」を意味するゲルマン語と言われているが、口語としてあまりに広く使われつづけてきたために、特定には至っていない。その点、フッキングの村はずっと由緒が正しい。この土地はさるバヴァリアの貴族によって、なんと六世紀には拓かれていたと考えられている。その貴族の名がフォッコであったので、「フォッコ家」を意味するフッキングと呼ばれるようになった。現在の綴りが定着したのは1760年のことである。

フッキングの一隅

フッキングの一隅

第二次大戦後、近隣に駐留した英米の兵士たちを通じてその名が有名になると、それまで「有史以来これといった犯罪がない」ほど平和だったという村の生活はすこしずつ部外者の好奇心に蝕まれるようになった。村に四つしかない村名入りの道路標識が、一晩でみな盗まれるという被害もあった。I love Fucking in Austria という両義的なメッセージ入りのTシャツを作成した土産物屋の店主は、隣人たちから総すかんを食った。ゲストハウスを経営する婦人は、「村の絵はがきはありませんか?」という客の質問に、There are no Fucking postcards と答えざるを得なかった。

さすがに村人たちの間からも、名前か、せめて綴りを変えてはどうかという声が一度ならず上がったようだ。しかしその度に、結局は変えないという結論が出る。村人たちはこの美しい村を愛しており、その愛を表す言葉こそまさにフッキングに他ならないからだ。

このように土地の大切な名前が、部外者にとっては冗談の種になってしまうという例は他にもたくさんある。手近なところではフッキングの奥にあるオーベル・フッキングは「情交過多」を連想させるし、ドイツとの国境を越えたところにはペッティングがある。フランスにはコンドームがある。しかし英語圏の土地も、もちろんこの宿命を逃れられない。カナダにはディルド(張形)があり、イギリスにはテッティー・ホー(胸乳ゆたかな娼婦)が、クラップストーン(糞石)が、ウェットワング(濡れた男根)がある。最後にアメリカを見渡せば、すぐさまインターコース(性交)やクライマックス(絶頂)やファート(屁)が目に入る。いったいなんでこんな名前にしたのか。アリゾナ州のワイ(何故)の住人に尋ねてみてもわからないだろうし、まさかエンバラス(当惑させる、ミネソタ州)するためではないだろう。事故だよ、とメリーランド州アクシデントの人々は答えるかもしれない。確かにボーリング(退屈、オレゴン州)な名前よりはいいかもしれないし、ノー・ネーム(名無し、コロラド州)よりましだろう。どうせこの世はヘル(地獄、ミシガン州)みたいなもの、と開き直るならくらいなら、いっそ現実を忘れてテキサス州ロリータに旅をしようか?

とはいうものの、土地の名は現実とあまりにつよく結びついているので、そう易々と放棄できるものでもなく、むしろ生きるほどに、思い返すほどにその意味を増すばかりだ。まだ訪れたことのない土地の場合も、実はこれと大差ない。

『失われた時を求めて』第一篇第三部は「土地の名・名」と題されている。それまで「スワン家の方」「ゲルマントの方」という二つの名によって思い出を分類する習慣を持っていた「私」は、ノルマンディのバルベック海岸、そして憧れのフィレンツェやヴェネツィアなど、まだ訪れたことのない土地に思いを馳せるようになる。「私」はしかし、家族の話や、美術や文学などを通じて、これらの土地をすでに現実として知っているのだ。そして彼の夢想は、いざそれらの土地を訪れたとたん消化されてしまうのかといえば、むしろ反対である。夢想を種に現実が生れたように、こんどは現実を種に夢想が花ひらくからだ。

バルベックのモデルになった避暑地カブール。十九世紀半ばに発展

バルベックのモデルになった避暑地カブール。十九世紀半ばに発展

土地の名と言えば、それを十世紀までに完全に文学の構成要素として磨き上げてしまったのは、おそらく世界で日本人だけだろう。歌枕である。都と隣国との境にある「逢坂の関」はまさしく「逢ふ坂」であるとともに、別れの場でもあった。「これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬも逢坂の関」は蝉丸の歌である。さて関を越えると近江の国に入る。つまり「逢ふ身」である。都に愛人を残しているときなどは、いよいよ思いが募り、「今日別れ明日はあふみと思へども夜やふけぬらむ袖の露けき」(利貞)と涙に暮れずにはいられない。と、これらはごくわかりやすい例に過ぎないが、歌枕は多くの和歌での試みを通して鍛え上げられ、『枕草子』を見れば明かなように、歌枕の組み合わせのみで物語を編むことをさえ可能にしたのである。

現代の忙しい、巨大な都市でも、もちろん土地の名はその力を保持している。ニューヨークのように世界中から人が集まり成功を夢みているような土地では、むしろその力は現代に入って倍加したと考えるべきだろう。ニューヨーカーは当然ながら個人主義者だが、だからこそ彼らはそれぞれ自分だけのニューヨークを持っており、その意味の迷宮には他人はなかなか入ることができない。それをよく示しているのが映画「脳内ニューヨーク」である。主人公の劇作家は実力を認められ莫大な予算を手に入れるのだが、彼は自分にとってのニューヨークを完全に再現しようと試みる。セットはどんどん巨大化し、やがて街全体と市民を、そして彼自身を呑み込んでいくのである。ちなみに原題は Synecdoche, New York であり、提喩を意味するシネクドキ synecdoche と、ニューヨーク州北部の街スケネクタディ Schenectady が掛けられている。そう、土地の名とは提喩に他ならない。名という一部が土地という全体を表し、また名という全体が土地という一部を表すのだ。

スケネクタディの古い絵はがき

スケネクタディの古い絵はがき

それはイタロ・カルヴィーノの『見えない都市』にもよく現れている。この小説ではマルコ・ポーロが見聞した多くの土地が紹介されるが、エルシリア、ソフローニア、クローエなどなどの土地の名にはさして意味がない。その名に意味を与えるのはマルコ・ポーロが観察した街の姿であり、風土であり、特徴である。つまりこの小説が扱っているのは、言語が意味を獲得してゆく過程そのものなのである。そのことがよくわかる一節を、最後に引用しておこう。

「それゆえに住人たちは、ただアグラウラという名前の上にのみ育つアグラウラに住んでいるとばかり信じ続けており、地上に育つアグラウラの街には気づかないのでございます。そして私にとっても、この二つの都市を記憶のうちにいつまでも区別していたいとは思うものの、やっぱりその一方のことをお話し申し上げる他はありません。なぜなら、もう一方の思い出は、それを留めておくにも言葉が欠けているために、煙のように消えてしまったからでございます。」(米川良夫訳)