地下三百メートルの塔

もう終わってしまったが、「東京スカイツリー完成記念特別展」と称して、江戸東京博物館で「ザ・タワー」なる展覧会が行われていた。「ザ」という定冠詞がどの塔を指すのかわからないという曖昧さのせいなのか、さほど客入りは芳しくなかったようだ。だがとくにエッフェル塔に関する展示には興味を惹かれるものがたくさんあった。

展覧会ポスター

展覧会ポスター

ところで、現代の文学や思想に興味のある人間ならば、エッフェル塔といえばすぐさまロラン・バルトの同名の著作が思い浮かぶだろう。同書では、突如現れたこの三百メートルの鉄塔、つまり街中にいきなり埋め込まれた巨大な記号が、いかに人々の拒絶反応を引き起こし、憎まれながらも、一方で文明の進歩を完璧に表象し、ついにはパリとイコールの関係になってしまったか、という問題が扱われている。だがそこでは扱われない興味深い資料も、冒頭の展覧会では目にすることができたのである。

1889年、完成当時のエッフェル塔。トロカデロ宮殿から、万博会場を臨む

1889年、完成当時のエッフェル塔。トロカデロ宮殿から、万博会場を臨む

「鉄婦人」とも呼ばれるエッフェル塔は1889年、万国博覧会の象徴たるにふさわしいものとして、モーリス・ケクラン、エミール・ヌギュイエによって設計された。二人はさらに上司のステファン・ソーヴェストルに推敲を頼む。そしてこの三人が務めていた建設会社の社長が、ギュスターヴ・エッフェルだったというわけだ。つまり、部下たちに塔を設計する許可を与え、それを会社の名前でコンペに出すことも許したとはいえ、エッフェルは直接に塔の建設に関わっていたわけではない。それどころか、途中まではたいして興味を持っていなかったようなのだ。

なぜエッフェル社長は腰が重かったのか? その理由についてはバルトを引こう。「役にもたたないものを作るという考えは、ブルジョワジーの巨大な企業の合理性と経験主義の二つながらにおのれを捧げていた当時の時代精神にとって、許すことができなかったのである。」そう、塔は何の役にも立たない。ましてこの塔は何かを記念するためのものではなく、ただ「立てる」ことが目的であった。そしてエッフェルはブルジョワである。彼が情熱を持って携わってきたのは橋梁の建築であり、後に心血を注ぐことになるのは気象学と航空力学である。いずれも「役に立つ」ものだ。

そこで塔の価値は当然ながら形而上的なものになり、建設が進むにつれて膨張していった。エッフェル自身、乗り気でもなかったくせに、会社の代表としてこう演説している。「今世紀は産業と科学の世紀でありました。その基礎となったのは十八世紀の科学の大発展と、1789年の革命であります。この塔は、フランスから彼らへの感謝の印なのです。」ともあれこうして塔は完成した。空前の高所での作業にも関わらず一人の死者も出なかったことも、事業に花を添えた。1930年にニューヨークにクライスラー・ビルが完成するまで、エッフェル塔は地上でもっとも高い建築物としてそびえたのである。(ちなみにいまは天辺にアンテナがついているので、クライスラー・ビルよりも高い。)

だが、それでめでたしめでたし、とは問屋が卸さない。企画の段階ですでに建築家や芸術家からなる「三百人の委員会」(一人が一メートルを担当、というわけである)という反対派が結成され、建設中止を求める嘆願書を送ったり、完成してしまってからもボイコットを呼びかけたりしている。しかし変化には反発がつきものである。実際、彼らの主張には法的な根拠があるわけでもなく、要は美的感覚や信念の問題なので、国からはまじめに取り合ってさえもらえなかった。そして反対派に加担した人々も、後には平気な顔で塔に登ったりしているのだから人間とは勝手なものである。

反対派によるギュスターヴ・エッフェルのカリカチュア

反対派によるギュスターヴ・エッフェルのカリカチュア

それでも、もっとも頑固な反対派の一人だった小説家ギ・ド・モーパッサンの、バルトの著作にも引用されている言葉は興味深い。モーパッサンは、大嫌いなはずのエッフェル塔のレストランでしょっちゅう食事をしていた。「いったいどうして?」という問いに彼はこう答える。「だってこの街で塔を見なくてもすむのは、ここだけだからさ。」

この言葉に、エッフェル塔の本質がある。あまりに巨大な記号をとつぜん押しつけられることは不愉快である。ではその記号から逃れるにはどうすればいいか。それは記号のなかに入ってしまうことである。エッフェル塔という鉄の骨で編み上げられた空間の多い塔は、記号としても空虚なので、簡単になかに入ることができるのだ。

しかし、それはただ空虚なだけではないだろう。空虚だからこそ、エッフェル塔は意味を変え続ける。デリダ風にいえば、この塔は巨大なファルマコンなのである。進歩であるとともに破壊であり、美しいとともに醜くもある。空虚な塔はかぎりない差延を生じさせる……。(エッフェル塔が自殺の名所としての一面も持っているのは、決してこのことと無関係ではないだろう。)

このことを裏付けているのが、1900年に再びパリで万博が催されると決まったときに持ち上がった、エッフェル塔の改造計画である。アンリ・トゥーサンは塔に「金属のスカートをはかせる」ことで電力館に改築しようとした。他ならぬ設計者ソーヴェストルも、まるでロンドンのタワー・ブリッジをくっつけたような噴飯ものの案を出している。それどころか、なかにはピサの斜塔のような円筒形の塔や、即席の山登りが楽しめるハリボテの山を作り、エッフェル塔をその芯として使おうという意見まであったのである。つまり反対派に与しなかった人々にとっても、この新しい街の象徴は存在と同時に不在を意味する、いくらでも取り替えのきくものに過ぎなかったのである。あたかも塔が天に向かって伸びるのと同時に、地下にも伸びているかのように。

トゥーサンの改造案

トゥーサンの改造案

ソーヴェストルの改造案

ソーヴェストルの改造案

この二枚は2008年、ソレロという建設会社が発表した嘘の改造計画。展望台を広げるための事業であると発表し、大勢が騙された。

この二枚は2008年、ソレロという建設会社が発表した嘘の改造計画。展望台を広げるための事業であると発表し、大勢が騙された。

毀誉褒貶、悲喜こもごも、それでもいまやエッフェル塔はパリの象徴の最たるものであり、世界でもっとも多くの人が訪れた有料の建築物と言われている。江戸博で展示されたアンリ・リヴィエールの浮世絵へのオマージュ「エッフェル塔三十六景」をはじめ、ドローネーの絵画、アポリネールのカリグラム、そして無数の映画や小説で、この塔は効果的に、そして何よりも建設的に、利用されているのだ。

ところで東京にはスカイツリーが開業する。筆者はべつにあの塔に反対するわけではないが、すくなくともそれが東京のどこからでも見えるようなものでなくてよかったと思っている。そして、モーパッサンは鼻で笑うかもしれないが、景観を守るためのフュゾー規制のようなものが成立するパリがうらやましくもある。とりあえず、次に登るのは東京タワーにしておこう。