ロートレックの股下

アンリ・マリー・レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864-1901)はフランス屈指の由緒を持つ伯爵家の長男として南仏アルビに生れた。年子の弟が一歳で死ぬと両親が別居、乳母に育てられたロートレックは八歳でパリに移り母親と暮らした。早くから絵の才能を発揮したが、生来の虚弱体質と発育不全を心配され、湯治などの設備が整ったアルビに戻る。しかし十三歳と十四歳のときにそれぞれ落馬と転倒により右脚と左脚を骨折、ついに完治せず、下半身の成長が止まってしまった。このような状況をもたらしたのは濃化異骨症(俗に「トゥールーズ=ロートレック症候群」とも呼ばれる)が原因であるとされ、それは何代も続いた近親婚の宿命であった。上半身はその後も成長を続けたため、ロートレックは最終的に150センチ程度になったが、腰から下は70センチであったという。さらに陰茎が肥大していたとも、吃音症であったとも言われる。

しかし世紀末のパリは、そんな彼にも居場所を与えた。むしろ彼の寿命を精神的にも肉体的にも縮めた障害があったからこそ、彼は音楽と踊りの喧騒が耳をつんざく当時のパリで花形の一人にのぼりつめることができたのではないだろうか。

パリのなかでもモンマルトルに強く惹かれた彼は、勉強を続けながらゴッホらとともにアンデパンダン展などに出品していたが、夜は娼婦たちの世界で観察を続けていた。そして1889年、ムーラン・ルージュが開店すると、ロートレックはポスター制作を依頼される。画家仲間はキャバレーのポスター作りなど見下していたが、大貴族であるロートレックにはそんな矮小なプライドはなかった。むしろ初めて自分で金を稼ぐのが楽しかったのだ。そしてこのポスターの仕事こそ、彼の才能を完全に開花させるきっかけとなったのである。

デビューの時期のムーラン・ルージュのポスター  奥で踊っているのは看板ダンサーのラ・グーリュ

デビューの時期のムーラン・ルージュのポスター
奥で踊っているのは看板ダンサーのラ・グーリュ

ロートレックもまた、浮世絵に大きな影響を受けた画家の一人であった。いや、浮世絵の特性を西洋美術に移すことに最も成功した画家、と言ってもいいかもしれない。平面的な画面に人目を惹く事物を配置し、文字のための余白を残さなければならないポスターは、機能や構成の面から言って油絵などよりもにはるかに浮世絵に近い。またポスター制作に使われる技法はリトグラフである。つまり刷り師との共同作業であり、様々な色のヴァリエーションを同じ図柄で試すことができる。これも基本的には浮世絵と同じであろう。

1870年頃から勢いを増した西洋の日本趣味は自然の流れだったのかもしれないが、それでもゴッホやモネ、ドガなどの場合を見るにつけ、いったい浮世絵なしに後期印象派やそれに継ぐ西洋の美術改革は可能だったのか、という気さえしてくる。(それにこの時代は、まさにプルーストの生涯とも重なっているのである。)ましてやロートレックは、子どもの頃から実家で「北斎漫画」を愛玩していた筋金入りの日本美術愛好家である。ロートレックは気に入った女をみんな同じような顔(しかも不美人なのである!)に描く癖があったが、これだっていわゆる「歌麿風」「春信風」に並ぶ「ロートレック風」の女であろう。ついでに彼の落款(名前の頭文字HTLを組み合わせたもの)も完全に日本由来である。

着物を身にまとうロートレック 撮影は友人モーリス・ギベール

着物を身にまとうロートレック
撮影は友人モーリス・ギベール

ロートレックは油絵、水彩、リトグラフ、スケッチなど6000に余る作品を残した。しかし果して彼の生涯は幸福だったのだろうか。場末の歓楽街では、彼の見た目を笑わない人間の方が少なかっただろう。ロートレックは酒に逃げた。まだめずらしかったアメリカ風のカクテルを愛した。「トランブルマン・ド・テール」(地震)という名の、アブサンとコニャックのカクテルを開発したのは彼だと言われている。中毒がひどくなり、おまけに梅毒と思しい症状まで現れると、母親や友人たちは心配して彼を施設に預けた。そこでも杖に仕込んだ酒をこっそり飲んでいたというから驚く。晩年にはときおり友人たちと小さなスケッチ旅行に出かけることもあったが、すっかり気力が回復するということもなく、結局は母の城館で36歳の生涯を閉じた。最後の言葉は、自分を愛さなかった父への呪いであったという。

静かに見つめ合う二人のロートレック 撮影モーリス・ギベール

静かに見つめ合う二人のロートレック
撮影モーリス・ギベール

しかしそれでも彼は幸福であった。彼は椅子にちょこなんと座って、その短い脚のあいだに頭を突っ込み、キャバレーの音楽に満たされた世界をさかさまに見た。その世界はまさに幸福だったのである。


なお彼の作品のほとんどは幼なじみの画商モーリス・ジョワイヤンによって完璧に近い状態で管理され、今日でもアルビのトゥールーズ=ロートレック美術館などで展示されている。現在東京の三菱一号館美術館で開催中の「トゥールーズ=ロートレック展」もジョワイヤンの業績に拠っている。

展覧会のポスター。実は四種類ある。

展覧会のポスター。実は四種類ある。

2010年に開館したばかりの三菱一号館美術館は、丸の内で初めての洋風貸事務所建築、三菱一号館を復元した美術館で、なかなか気の利いた企画が続いている。今回の展覧会でも、上に挙げたロートレックと浮世絵の親和性が手に取るようにわかる構成になっているし、そもそも建物自体が面白い。

美術館のまわりの丸の内エリアはこの十年来、怒濤のような再開発が行われているが、美術館のある一郭なども重厚で凝った建築が軒を連ね、壮観な通りになっている。東京駅の工事はいつまでも続いていて利用者としては不便なことこの上ないが、計画完成の暁には東京・日本橋・銀座と、歴史息づく「帝都」の新しい姿を眺めるのが楽しみではある。ロートレックの愛した場末よりも若干高級すぎるが、美術館の帰りに辺りを散歩してみるのも悪くはないだろう。そこには浮世絵師たちの記憶もかすかに漂っている。