職業錬金術師

いったい錬金術というものは冷静な科学でありながら、現代の私たちがもつ科学的なものという観念を否定するような、情熱的な神秘の希求にふちどられている。……と、私たちは感じている。この科学と魔術の融合、学問と遊戯のあわいをゆく錬金術のイメージは、どのように形成されたのだろうか。それは明らかに、錬金術が誕生したアラブ世界ではなく、西洋世界においてである。もっと正確に言えば、プラハ城に広大な驚異の部屋を築いた神聖ローマ皇帝、ルドルフ二世と縁の深い、二人の学者に端を発しているだろう。その二人とは、エドワード・ケリーとジョン・ディーである。

ルドルフ二世の庇護を受けたアルチンボルドによる王の肖像   季節の神ウェルトゥムヌスに擬されている

ルドルフ二世の庇護を受けたアルチンボルドによる王の肖像
季節の神ウェルトゥムヌスに擬されている

ルドルフの驚異の部屋は百科全書的、あるいは博物誌的であり、この時代に芽生えはじめた近代科学のまなざしを代表していて興味深い。しかし注目すべきは、彼のサロンや驚異の部屋で扱われたもう一つの科学の側面である。それは隠秘学だとか超自然だとか、中世以前から続いている魔術研究だとか、そういった不可思議の領域なのだ。

王のサロンの紅一点として、エリザベス・ジェーン・ウェストンという詩人がいた。なるほど彼女が当時もっとも先進的な君主とも言えるルドルフのもとに出入りできたのは、自身の才能によるところもあるだろう。しかしそれだけではない。 彼女の継父というのが、他ならぬエドワード・ケリーだったのだ。またの名をエドワード・タルボットともいうこの自称霊媒師は、英国ルネサンス期を代表する隠秘学者であり、錬金術師であった。 ケリーは水晶球を用いて天使や死者の霊を呼び寄せることができ、天使の言語であるエノク語にも通じていた。さらにケリーは謎めいた赤い粉を用いて、鉄などから黄金を作ることができると豪語していた。

エリザベス・ジェーン・ウェストン

エリザベス・ジェーン・ウェストン

そんな彼に惚れ込んだのが、同じくイギリス出身の数学者で、エドワード六世に占星術を説いたジョン・ディーである。ディーのほうが三十歳ほど年長であった。彼は女王メアリー一世に魔術をかけた疑いで投獄されたかと思うと、今度はエリザベス一世の寵愛を得たりと、学者として、魔術師として、尊敬と嫌疑を交互に身に受けた人物であった。 

ケリーとディーは意気投合し、中央ヨーロッパを中心に貴族相手の降霊術を披露してまわった。客のなかには、噂をききつけたルドルフもいた。そして1590年、ルドルフによってケリーに男爵の位が授けられ、彼だけが宮廷へ招かれることになった。それで継娘のウェストンも、共にプラハへ引っ越すことになったわけである。ケリーはすでに相当の財産を蓄えていたので、宮仕えをすることは錬金術に集中するまたとない機会であった。

しかし困ったことに、いざ腰を据えて研究してみると一向に成果が上がらない。気の短い王は激怒し、わずか一年ほどでケリーを投獄してしまう。今度こそ必ず黄金を作ってみせる、と懇願し一度は釈放されるが、またしても王の期待には応えられず、再び囹圄の人となる。結局1597年、ケリーは志半ばで死んでしまった。一説にその死因は、塔にある獄舎から縄を使って脱出しようとした際の怪我であると言われる。 

エドワード・ケリー

エドワード・ケリー

一方のディーはと言うと、ルドルフがケリーに声をかけた時期に、彼とのコンビを解消している。いや、むしろ捨てられたというのが本当だろう。ケリーはある日ディーに向かって、「大天使ウリエルが、おれたちはすべてを共有しなければならないというお告げを下された。もちろん女房もだ」と言い放ったのである。この受け入れ難い要求が暗に出世の邪魔になる自分を遠ざけるための策略であることを見抜いたディーは、黙って身を引いたらしい。

ジョン・ディー

ジョン・ディー

イギリスに帰国したディーは女王エリザベスの援助で神学校の校長に収まったが、学生からの信用はあまり得られなかったという。ディーはそれでも1608年くらいまで生き延び、八十二歳で大往生を遂げたが、君主が神秘嫌いのジェームズ一世に代わってからは家計も逼迫し、最後は持物をほとんど手放した状態であった。

これが西洋初の「職業錬金術師」とも言える二人のイギリス人、ディーとケリーの後半生である。二人とも教養があることは確かだが、それが生かされるのはどこか異常な方面においてであり、奇跡を起こすかと思えば、口先だけの山師に成り下がりもする。これこそまさに今日の錬金術師のイメージの原形であろう。

そこへ行くとケリーの娘、エリザベスはよくしたもので、詩集を出版したのが1608年だから、継父の獄死も意に介さず、宮廷詩人の立場を貫いたことになる。彼女は難産のため三十一歳で早生してしまうのだが、そのときにはさる弁護士とのあいだにすでに七人もの子供をもうけていたのだから、父親よりもずっと地に足のついた、幸福な生涯だった言えるかもしれない。しかし地に足がついていては、錬金術など研究できっこないのである。