鴨長明の震災

これは昨日、僕の先生から紹介された話である。ご存知の向きもあるかと思うが、埋もれさせておくのは勿体ないので記事にしておこうと思う。それは鴨長明『方丈記』こそ、いま私たちが一読すべき古典ではないか、という話である。

菊池容斎の描く鴨長明

菊池容斎の描く鴨長明

鴨長明は平安末期から鎌倉初期に活躍した歌人であり、『無名抄』という歌論書を遺した歌学の人でもある。中世の代表的な随筆とされる『方丈記』は、出家した後、1212年頃に成立したとされる。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。

という書き出しは有名だが、この随筆を貫く諸行無常の思想には、当時の天変地異という具体的な出来事も無関係ではない。

四十あまりの春秋をおくれる間に、世のふしぎを見ることやゝたびたびになりぬ。

四十歳を過ぎた頃から、長明はいくつもの自然災害を身近に経験している。火(火災)、つじかぜ(竜巻)、そして日でり(旱魃)、大風(台風)、大水(水害)から来る飢ゑ(飢饉)である。こういった惨事が相次いだあとに追い打ちをかけるように、元暦二年、つまり1185年に、「おほなゐ(大地震)」が起こる。現在、文治京都地震と呼ばれているものである。

そのさまよのつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれたる間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば雲にのぼらむこと難し。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。

山はくずれ、津波が襲い、地割れが起こる。船は翻弄され、道は途切れる。立派な建物も倒壊し、土ぼこりがもうもうと立ちのぼる。家が崩れる音は雷のようだ。家の中にいれば死んでしまう。しかし外へ逃げても地面が裂ける。羽がないので空へ逃げるわけにも行かない。龍のように雲の上に逃げることもできない。地震ほどおそろしいものはない。—と、今回の震災の被災者はもちろん、東京など周辺で地震を体験した人々にとっても、おそろしいほど身に迫る描写である。津波を「海かたぶきて陸をひたせり」と形容するのは、津波は断層がせり上がって斜めになり、そこを海水が流れるために起こるのだから、科学的にも正確で、長明の観察眼の鋭さを物語っている。

さらに興味深いことに、長明は余震にも言及している。

かくおびたゞしくふることはしばしにて止みにしかども、そのなごりしばしば絶えず。よのつねにおどろくほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやうまどほになりて、或は四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、大かたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。

大きな揺れはやがて収まったが、いつもならびっくりしてしまうような揺れが、一日に二十回も三十回も起きることがあった。十日、二十日と過ぎるうちに回数は減り、二三回、四五回程度になった。それがだんだん、一日おき、三日おきとなり、三ヶ月ほどでやんだ。—やはり当時の人々も、いったいいつまで余震が続くのか、あちらこちらの辻などで議論していたのだろうか。とにかく長明の意見を参考にして、当面は注意を怠らないようにしなければならないだろう。

しかし長明が本当に後世に伝えたかったのは、むしろ次の一文ではないだろうか。

すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし。

当初こそ人々は無力感を覚え、その分、人と助け合うなどして、思いやりを見せていた。それでも時が流れるうちにそんな状態もうつろい、もう地震の話をする人もいなくなった。—そんな意訳も可能だろう。

『方丈記』に登場する地震の頃、日本は鎌倉時代へ突入しようとするまさに激動の時代にあった。ただでさえ戦という人災のまっただなかにいるのに、そこへもってきて天災が相次ぐ。末法思想がいよいよ説得力を持つのもむべなるかなである。時代くだって1995年、神戸の震災のとき、状況はこれにすこし似ていた。サリン事件という空前のテロも起こっている。国外でもロシアによるチェチェン侵攻、オクラホマでのビル爆破、フランスの核実験など、後味の悪い出来事が続いた。時あたかも世紀末で、やはり空気は不穏であった。それでも日本は無事に二十一世紀を迎え、不景気とはいいながら、そこそこ気楽にやっていた。そして2011年、史上最大級の地震である。迷走する報道はオーバーヒート気味であり、被災者の救済と責任のなすりつけあいを混同している。そうして国民の目を震災に、そして何より原発に釘付けにさせておいて、誰も見ていない隙に政府は何を画策しているのだろう。不安を募らせればきりがない。いまこそ、鴨長明の冷静さを学ぶべきなのである。