毎日201回、嘘をつこう

今日はエイプリル・フールである。エイプリル・フール当日にそう言うだけで、もう嘘の気配がする。それこそエイプリル・フールの本質だろう。出口のない弁証法の迷宮はしかし、嘘か本当かに終始する単純なものではない。

エイプリル・フールの起こりについては、シャルル九世が引き合いに出されることがしばしばある。法王によりグレゴリオ暦が採用される以前から西ヨーロッパ諸国は新年を1月1日に移行しはじめたが、フランスでも1564年にこれが行われた。ところが庶民がそれを知らずに(あるいは故意に)従来通り4月1日あたりに馬鹿騒ぎをしたので、シャルルは彼らを処刑した。それでかえって4月1日のお祭りが定着してしまったというわけである。

だがこれはかなり胡散臭い話である。実は十四世紀末のチョーサー『カンタベリー物語』にはすでにエイプリル・フールを思い起こさせるような記述がある。つまり新年云々というよりも、エイプリル・フールは復活祭にかこつけたカーニヴァルであると考えたほうがすんなり納得が行く。

ピーテル・ブリューゲルの「カーニヴァルと四旬節の争い」1559年

ピーテル・ブリューゲルの「カーニヴァルと四旬節の争い」1559年

ブリューゲルのこの絵では、左側の群衆が酒樽にまたがったり楽器を手に行進したりしているのに対して、右側の群衆はキリストの復活を待ちながらその苦しみを思い、打ちひしがれている。だが享楽を尽くす左側の人々も、救世主の復活を待つ右側の人々も、日常をひっくりかえす儀式に身を投じているという意味ではどちらもカーニヴァルの住人である。価値観を転覆させるカーニヴァルは、春という新しい季節の到来をまえに日頃の抑圧から解放されるための、必要不可欠なガス抜きの作業と言えるだろう。春はまた畑に出る季節であり、恋の季節でもある。

「イクトゥス」のモザイク

「イクトゥス」のモザイク

ところでエイプリル・フールと言えば魚である。フランスやイタリアでは「四月馬鹿」は「四月の魚」になる。これらの国では「魚」は当然ながら、「馬鹿」や「酔っ払い」の意味をまとう。また、この辺りでは春に魚がとれないので、「ありえないこと」という連想が促される、という説もある。しかしそれだけではないだろう。上の写真にあるように、ギリシャ語で「イクトゥス」は魚を意味する。ギリシャ文字で書くとΙΧΘΥΣであるが、これらの頭文字を使うとΙησους Χριστος Θεου Υιος Σωτηρという文章を綴ることができる。すなわち「イエス・キリスト、神の子、救世主」である。キリスト教における魚のシンボルの重要性はいまさら言うまでもない。エイプリル・フールにはやはりキリスト教も深く関係していると思われる。

何はともあれ文明社会になると、あまり大っぴらな馬鹿騒ぎは鳴りをひそめるようになる。写真のような可愛らしいカードの交換なども行われるようになり、お祭り騒ぎよりも気の利いた嘘をつくのが現代エイプリル・フールの習わしである。悪意ある嘘をつく場合もあるが、あくまで善意の、いわゆる「白い嘘」が本当だろう。

人間の脳は一日に200ほどの嘘を無意識につき、自己欺瞞を行うという学説がある。それはともかくとしても、実は嘘をつかないほうが難しいのだ。事実を建前とする報道にしても研究にしても、ちょっとした言葉の隙や意味の取り違えから、書いたことが嘘になってしまう例は枚挙に暇がない。しかし同時に、故意に練られた頓知や諧謔という嘘はユーモアと呼ばれ、人間にしかできない高度な遊びと見なされている。そしてそのような柔軟な発想こそ、あらゆる芸術を理解する鍵であると言っても決して大げさではないだろう。

嘘はあらゆるところに潜んでいる。それを肝に銘じた上で、こちらも胸を張って嘘をつきたいところだ。