歴史か物語か

コロンビア出身の世界的な作家と言えばガブリエル・ガルシア=マルケスである。彼の文学の特徴を一言で表すなら、それは現実から幻想への飛翔というよりも、現実こそ幻想であることを思い起こさせる文学、ということになるかもしれない。幻想というあまりに間口の広い言葉を避けるとすれば、歴史と物語の境を永遠に追放しようとする文学、と言ってもいいかもしれない。

『予告された殺人の記録』スペイン語版。

『予告された殺人の記録』スペイン語版。

ガルシア=マルケス文学の最高峰とも名高い『予告された殺人の記録』は、まさにそれを地でゆく物語である。閉鎖的な田舎町で起きた殺人事件は多分に「幻想的」ではあるが、実は実際の事件をモデルにしており、当事者から訴訟を起こされるほど緻密な再現をも含んでいる。というのもガルシア=マルケスの親類もこの町の関係者であり、彼にとってこの事件は「歴史」であると共に「自分史」の一頁でもあったわけだ。

スペイン語版の表紙を見ればわかるとおり、この作品はまぎれもなく実験的な文学でありながら、大衆にも敷居の高さを意識させないよう配慮がなされている。これは本を売るための策というよりも、大衆こそが文学を可能にするというガルシア=マルケスの強い思いの現れであるかに見える。そして表紙の親しみ易さは功を奏し、実際の事件をモデルにした小説という話題性も手伝い、この本はかなりの注目を浴びたようだ。

ところで『予告された殺人の記録』から連想される作品に、トルーマン・カポーティの『冷血』がある。これも小説でありながらルポルタージュ、峻厳な現実でありながら甘美な幻想へと読者を誘う文学であり、「ノンフィクション小説」という新たな境地への挑戦であった。二人の死刑囚との恋愛にも似た取材を終えたカポーティが、その後まとまった作品をついに書かなかったことはよく知られている。

先頃、コロンビア出身のピアニスト、ヘクター・マルティノン氏と行動を共にする機会があった。かなりの文学好きである彼が敬愛する作家はやはりガルシア=マルケスであり、なかでも『予告された殺人の記録』を偏愛していた。そんな彼が「カポーティでは『冷血』がいちばん好き」と言っていたのは偶然ではないだろう。どちらの作品も、徒らに歴史と物語に線を引く私たちへの警鐘を鳴らしている。その鐘の音が、ピアニストの彼にはよく聴こえたに違いない。