幻視の島

屋久島については多くを知らない。しかし仄聞するところによると、それは海に浮かんだほんの百キロ四方の花崗岩の塊でありながら、千メートル級の山々を擁し、樹齢千年を優に越える屋久杉を養う、何とも人智を越えた島であるという。まさに蓬莱山もかくやという島影をまえにすれば、それが鹿児島県の一部であるとか、ユネスコの世界遺産であるとかいう人工的な区分には、興味を失わざるを得ないだろう。


そこに画家たちが足を踏み入れるとどうなるのか。門坂流、柄澤齊、多賀新、建石修志の各氏の場合なら、青木画廊でその成果を確認することができる。

建石氏のコラージュによる展覧会告知(部分)

建石氏のコラージュによる展覧会告知(部分)

「幻視—屋久島」では、四者四様の目と心が見た幻が、四者四様の表現で平面に定着している。青木画廊の二階は、目下のところ都会から最も近い屋久島への入口なのだ。

思えば美術において風景が風景として真価を発揮するようになったのは印象派の登場を以てである。しかし印象派の描く風景には、まだ現実への執着があった。それは必ずしも画家の見た風景ではなく、ときには世界が彼に見たことを期待する風景に過ぎなかった。だから印象派がすぐに後期印象派へと推移し、やがてあまたの表現主義へと枝分かれしたのは当然である。これは文学にも言えることだが、近代文明というものが登場してから人間の本能が復権するまでには、ずいぶん長い時を必要としたのである。

さて画家たちはトポスを求めた。例えばバルビゾンに、アルルに。一つの土地を複数の視覚で所有することの意義を彼らは知っていた。屋久島の自然はとかく峻厳で、巻き起こる幻視には中毒させるような気配も漂うが、「オジビ」のメンバーたる四氏は花崗岩を切り裂き、切り裂き、進む。四氏およびその意志の継承者に、ぜひとも「オジビ派」の称号を奉りたい。

展示は16日まで。詳細は青木画廊へ。