色の道は、人の道

十七世紀後半あたりから十八世紀前半までの日本というのは、ルネッサンス期の欧州の諸都市にも、ヴィクトリア朝のロンドンにも似たところがある。

中国の明の文化を一つの理想としたこの時代の日本では、百科事典や専門書の類いが爆発的な勢いで世に出、人々は町人、侍の区別なく様々な趣味の集いを持った。『訓蒙図彙』とか『節用集』とかいった魅力的な書物で知識を豊かにした人々が、やがて日本独自の焼き物をつくり、浄瑠璃や歌舞伎を発展させたのだ。また彼らは伊勢参りを口実に地方をまわり、当時のガイドブックに紹介されている名物をお土産にした。それは京都が過去になり、江戸が日本の中心になった時代でもある。以前紹介した助六が活躍したのもこの頃だ。

井原西鶴「好色一代男」より

井原西鶴「好色一代男」より

ところで江戸の男たちの楽しみの一つは、やはり恋であった。色の道である。そんな彼らの道しるべとなったのが、いわゆる「色道もの」の書物であった。その一つ、『色道大鏡』は、その名のとおり色道の百科事典である。吉原にかんする専門用語、女傑列伝、心中(二人で死ぬという心中ではない。愛の証に爪をはいだり、刺青をほどこしたりする心中である)の具体例などなど、およそ色の道を歩むに必要な知識が盛り沢山である。作者は藤本箕山(1626-1704)。

そのなかでも特に面白いのが、女を知らない野暮な少年が、色道の果てに悟りを開くまでの段階をたどる「二十八品」である。あんまり面白いので、この部分だけ『色道小鏡』として独立したほどである。元禄十二年(1699年)のことだ。

これは特定の男の話ではない。男というものが色道に漕ぎ出すとどうなるか、という一般論である。おっかなびっくり女に話しかけたり、天狗になったり、自信を喪失したり、破産したり、幇間になったり…。そう、これはまさに人が一生でたどる道を描いた書物でもある。また内容を「二十八品」に分けるのは「法華経」の構成とおなじである。文中には他にも仏教用語のもじりがたくさんある。色道を極めることは、仏道を極めることと変わらないのだ。それだけではない。枕草子や徒然草、源氏物語と、さまざまな古典の系譜に、パロディという形で『色道小鏡』はむりやり連なってしまう。むりやりなのだが、説得力がある。とっぴな理屈も孔子の言葉を引用してさらりと論証する箕山は、なにやらラブレーのような人物ではなかろうか。

しかし箕山自身はこう断っている。「この本は色道ものの流れを汲む数ある書物の一冊に過ぎない」と。実際、その通りなのだ。江戸時代はおそろしい。