狂気の世界へようこそ

十字軍の活動が一段落すると、西の人々を恐怖に陥れたレプラはなりを潜めた。しかし彼らは「狂人」の代表格として、その後も常に人々の心に暗い影を投げかけた。

狂人は減り、彼らを隔離するために建てられた施設の多くはべつの目的に使われるようになった。欧州中から集められた狂人たちはいくつかの大規模な建物に詰めこまれた。では街からは狂人が一掃されたのだろうか?とんでもない。欧州の多くの港、とくにドイツの港では、狂人たちがすし詰めで乗りこんだ船がしばしば目撃された。「よいどれ船」とか「阿呆船」と呼ばれる、あの奇妙きわまりない乗物である。

ヒエロニムス・ボッシュ Das Narrenschiff 1490-1500年頃 ルーヴル美術館蔵

ヒエロニムス・ボッシュ Das Narrenschiff 1490-1500年頃 ルーヴル美術館蔵

城壁に囲まれた都市から追放された彼らは安い手間賃で船員に引き取られた。しかし彼らがどこへ向けて船出したのかは誰にもわからない。ボッシュの絵にも描かれている「禁断の木」に魅せられた彼らはいったい何者なのか? 彼らは巡礼者なのだろうか? それとも永遠に自らの運命の囚人となった、さまよえる無垢な存在なのか?

彼らの正体が何であったにしろ、ルネサンスを挟む不安と激動の時代において、人々が彼らのことを考えない日はなかった。教会は彼らを教義の説明に利用し、民衆は彼らに自分たちの影の部分を投影した。シェイクスピアの悲劇を決定づけるものも狂気なら、セルバンテスのドン・キホーテを存在させているのも狂気である。

ようやく動乱の時代が過ぎた頃、狂気は「病気」になる。それは超越的な悪夢から、社会によって管理されるべき疾病へと姿を変える。しかしわれわれは五百年後の今日も、相変わらず狂気にとりつかれているではないか?

以上がミシェル・フーコーの『狂気の歴史』第一章で展開されるおよその理論である。フーコーの言葉はときに飛躍し、一つの段落のなかで何百年もの時間やいくつもの国を行ったり来たりする。ときに彼は根拠のないイメージを詩的な表現で事実に変えてしまう。とはいえ、ノイローゼから立ち直った若い学者の博士論文としては、この書物はあまりにも魅力的である。

秩序の天地がひっくりかえることは狂気の重要な側面である。シェイクスピアは悲劇にかぎらず喜劇『まちがいの喜劇』でもこの特徴を利用している。価値観の逆転はそのまま日本の狂言にもつながる。だから高橋康也がこれを『まちがいの狂言』に翻案したことはなにも独創的な試みではない。それに日本にも、あてどもなくさまよう船のイメージはある。たとえば熊野の補陀落船はどうか。海の彼方にある仏の浄土をめざし死の航海に出る僧侶の心が、果して狂気に満たされていなかったと言えるだろうか?

一人の人間が狂っているということは、世の中が狂っているということにほかならないのだ。