文明的なテロリスト

やがてヴィクトリア朝を迎えようとするロンドンで絶対的な「ダンディ」として貴族たちの寵愛と嫉妬を一身に受けた平民がいた。ジョージ・”ボー”・ブランメル(1778-1840)である。

彼が与えられた天賦の才は文学のそれでも音楽のそれでもなく、完璧な身だしなみと傲慢さを兼ね備えた伊達者として社交界に君臨する霊的な社交の力であった。皇太子(後のジョージ四世)は最初の邂逅で彼に屈した。イートン校を卒業したものの貴族に比べれば「貧乏」に違いない一介の平民ブランメルには、金など必要なかった。真っ白なシャツを新調しようが、賭博で大損しようが、ひとたび晩餐会に顔を出すだけで、ホストは喜んで彼の借財を肩代わりした。

リチャード・ディグトンによるブランメルの戯画

リチャード・ディグトンによるブランメルの戯画

彼のファッションはしかし、決して贅をつくしたものではない。彼の身をつつんでいたのは当時の紳士のあたりまえの服装である。ただしブランメルの着こなしは単純かつ完璧だった。彼は四時間かけて、染みひとつない純白のネクタイを斬新な形に結んだ。このスタイルは彼の住んでいたチェスターフィールド通りの邸にも浸透していた。彼は決して高価な調度品は飾らなかった。そのかわり、彼はお気に入りの書物を書棚の中央に添え、その書物に登場する人物の肖像をさりげなく壁にかけた。つまり彼の邸はひとつの知的な総合体だった。

要するに、彼は文明的なテロリストだったのだ。彼は貴族たちの装飾過多の悪趣味な浪費を徹底的に否定した。それを貴族たちはたいそう喜んで、自嘲的な態度で彼を愛した。

ところで十八世紀の江戸は、一足早くヴィクトリア朝の社会形態を実現していたようである。この世界最大の都市はようやく京都の影響を逃れつつあった。巷ではさまざまな階層の人々が趣味を通じてグループを作り、集められた知識は出版され広く世に出まわった。情報の共有、そして集団的な消費という、ダンディズムの成立に必要な条件が江戸では早くも揃っていたのである。

では江戸のダンディとは誰か? それがあくまでも架空の人物であるところに、日本の汎テクスト文化(間テクスト性に富んだ分化とか、いっそ物語文化と言ってもいいだろう)の面目が躍如としている。

歌川豊国「江戸名所図会(八)新吉原花川戸助六」

歌川豊国「江戸名所図会(八)新吉原花川戸助六」

その花川戸助六は、侍でもあり町人でもあるという、これまた象徴的なヒーローである。源氏に伝わる宝刀を、町人に身をやつして取りもどす侍、という姿は、どちらの立場の観客からも支持をあつめた。ブランメルとは反対に、紫のはちまきを〆め、黒の羽二重の小袖から緋縮緬の下着をのぞかせ、鮫皮の刀、印籠、尺八を身につけた助六の華美ないでたちは、それぞれのファッション・アイテムから漂う文化的コンテクストをもって、この頃ようやく「江戸っ児」を自覚しはじめた人々を熱狂させた。「助六は日本一の色男」という単純な川柳が、なによりもそれを証拠立てている。

ブランメルや助六が愛されたのは、何よりも彼らが抑圧的な政府への鬱憤のはけ口を与えたからであろう。傲慢な皇太子を顎で使うブランメルと、奢侈禁止令に真っ向からぶつかる助六の遊びっぷりは、ロンドンと江戸という二つの進歩的な都市において、遺憾なくその真価を発揮したのである。こんなテロリストなら、何人でもいてほしい。